satoimo's diary

人生も折り返し地点を過ぎた。自分を大切にするためには...

コロナワクチン接種2回目

数日前にコロナワクチン2回目の接種を終えた。

 

接種時の痛みもさほど感じず、当日は変化なし。

多少のためらいはあったが、その晩、糖質0のアルコール飲料を1本飲んだ。

 

先に2回目を終えた同世代の者は、翌日に熱発や体調不良者が多く

翌日は、私も熱発に備えて休みをもらった。

 

翌朝、なんとなく頭がぼーっとする感覚はあったが熱はなし。

腕の痛みも1回目ほどではない。

念のためランニングは控えておとなしく過ごす。

 

翌々日、普段通りに出勤。

まだ頭がぼーっとする感覚は残るが熱はない。

同日に接種した60代の女性も変化なし。

接種後の健康観察記録簿を職場に提出する。

 

帰宅後、いつものように近所のランニングに出かけた。

梅雨真っ只中、雨上がりで高湿度。

息苦しさからか、体が思うように動かない。

最後の坂道を這うように登り切った時

足がもつれて前に進まなくなった。

また転んでは目も当たられない。

ランニングは断念し、ゆっくりと歩いて帰った。

 

ワクチン接種の影響なのかは分からない。

 

息子が言う。

 

「ワクチン接種って都市伝説的な話があるし、正直怖い。打ったところでかからないわけでもないし、将来の後遺症はどうなの?副作用も怖い。でも、夏は暑いし、マスクをしなくてよくなるなら打とうかな。スペイン風邪の時はどれくらいで終息したの?学校で打ってくれれば良いのに。お母さんが打ってどうもなければしようかな」

 

10代のリアルな意見だと思う。

学校でもワクチン接種の話題になり

意見が分かれているという。

 

正直、ワクチンの効果のほどは分からないし、数年後の副作用なんて検証のしようもない。学校で集団接種すれば、子供たちの心理的には信用度も上がるだろうが、同調圧力がかかり強制的になるかもしれない。しかし、限られたわずかな情報の中で、国民一人一人に接種するかしないか判断しろというのも酷な気もする。強制的になってはいけないのも分かるが、10代の子供たちにどう判断しろというのか。親の私たちでさえ、適切な答えが分からないのに。いや、社会全体が、誰もが経験したことない事態であり、誰にも分からないのだから仕方がないか。

 

「スペイン風邪はどれくらいで終息したのだろうね?赤痢の時も大変だったと、おばあちゃんに聞いたけど。都市伝説も怖いかもしれないけど、これだけ世間がワクチン接種を推奨している雰囲気で、ある程度の集団免疫を付けなければなんて言われると、打った方が良いのかなと思うよね。毎年、接種しないといけないのか、数年後の副作用はどうなのかなんてわからないけどさ、どうせ、いつかは皆寿命がくるんだし、それまで生きれればいいんじゃない?よく考えれば、食品添加物だって、薬だって人工的な良く分からない物を取り入れてるけど、生きてるしね。ま、私の状態をみてみたら。私も迷いはあったけど、高齢者と関わる仕事だけに接種しないという選択肢は私にはなかったのよ」

腎臓内科初診

職場の健診で、数年前から腎機能低下の疑いありとの結果を受けており、満を持して腎臓内科を受診した。

 

とりあえず、数値をネット検索すると、不安ばかりが膨らむため、受診した方が手っ取り早い。

 

10年程前に亡くなった父が、20年近く透析をしていたことも、重い腰を上げる要因となった。

 

検尿、採血、CT、エコーとフルコース検査を受ける。

 

CTや、エコーは、息を止めたり、吐いたりせねばならず、高齢の方は大変だろうと思う。まして、難聴の方や認知症の方は、苦労されるだろう。息を止めてと言われても。。

 

問診にて、家族の病歴について尋ねられる。

 

透析をしていた父。

 

父は、自営業であり毎年健診など受けておらず、おそらく今の私くらいの年代に、血尿があったが、仕事が忙しく放置。数年後、背中に激痛が走り入院、そのまま透析治療となったと記憶している。

 

しかし、

 

「腎臓が悪くても、背中の痛みは出ませんよ。何か他の病気だったのでは?腎臓が肥大化する場合もあるし、遺伝もある。何が原因で、どんな状態だったのでしょうね?」

 

亡き父に尋ねることもできず、あの時、もっとしっかりと向き合っておけばよかった。見ていたようで、何も見えていなかったと振り返り、ふと思う。

 

様々な理由から、親を知らずに育つ方もいるだろう。もし、自分が病気になった際、遺伝的なものであった場合、血縁関係者の既往歴は重要になってくる。

 

養子縁組など各々の事情もあると思う。しかし、遺伝情報を受け継いだ親の情報は、把握していた方が良いのかもしれないし、子は知る権利がある重要なことかもしれない。

 

まして、私のように父を目の当たりにしていたはずなのに、何も知らないなんて。恥ずかしくなる。

 

CTの結果、腎臓の大きさに異常はなく、他の検査結果を聞きに、再度来院することになった。

 

腎臓は

悪化しても良くなる事はないらしい。

(ネット情報だが。。)

 

アラフォーになり、確実に身体にガタが来始めている。

健康第一とは、よく言ったものだ。

 

子供達が一人前になるまでは、病気になんてなれるはずもない。自分で気をつけるより他ない。

 

初めての腎臓内科受診は、不謹慎ながらワクワクして望んだ。結果は不安ではあるが、初めて行く病院、初めて出会う医師、初めての検査など、次は何をするのか?興味津々である。

 

そして、こんな私のためにも診察や検査をして下さることに感謝しかない。

 

ありがたい。

パン屋さんのルール?

固いパンが食べたい!

 

近場のパン屋さんは、ほぼ制覇した。あまり、ハード系のパンは並んでいない。需要がないのかもしれない。

 

ネット検索により、繁華街に昨年オープンしたハード系パンが揃うパン屋さんを見つけた。

 

ルート検索で向かったそのパン屋さんは、軒先に店名だけ記した小さな看板があるのみ。ぱっと見パン屋さんとは分からない。

 

店前のベンチに腰掛けて、読書をしている女性が目に入る。

その店は、11時開店、売り切れ次第閉店らしい。

 

パン屋さんよね?と半信半疑で扉を開くと男性客が1人。カウンターの中にいる店員さんに会釈して入店した。

 

コロナ禍でのパン販売は、なかなか難しいかもしれない。焼きたては袋に入れることが出来ないので、そのまま並べられている。やはり、気になる。

 

一番固いパンを尋ねて、男性客の後に購入した。

 

支払いを終えると、女性客が扉を開く。

 

ん?

もしかして、入店人数に制限があるのか?

 

しかし、店の外の店名の看板以外、貼り紙もなく、何の情報もない。

電子マネーなど使用可能などの告知もなく、現金で購入した。店内には、パンとパン名、値段があるのみ。

 

一見さんお断り的な?店なのか?

ルールが全く分からない。

 

レーズンたっぷりのパンをかじりながら、再度パン屋さんを検索すると、コロナ感染対策のため、入店は2組に制限しています。とある。昨年の情報だった。

 

果たして、今はどうなのか?

 

何も知らずに来店し、売り切れる前に買いたい一心で、配慮にかけていたのではないかと自分が恥ずかしくなる。もしかして、あの読書していた女性は、入店待ちをされていたのか?なんだか、スマートじゃない振る舞いをしてしまったことを反省する。

 

いつもそうだ。

 

何も急ぐ必要はないのに、早くしなければと焦燥感にかられる。ゆっくりと時を楽しめない。私の良くないところ。

 

ゆっくりで良いのに。

 

心に余裕があれば、もっと周りに気を配って、自分も心地よく過ごせるだろうに。

 

意識してゆっくりと動くようにしよう。充実した時を過ごしたいから。

 

 

 

1人遠行

女子高時代、学校から山間の公園までバスで運ばれ、そこから歩いて学校を目指すという年に一度の行事があった。

 

遠行。

 

半日かけてお喋りなんてしながら、歩くものだった。翌日は足がパンパン。

 

コロナ禍での自粛生活の反動か、どうしても長距離を歩きたくなった。いや、アラフォーになっても、あの頃のように長距離を歩けるのか、試してみたいだけかもしれない。とにかく、歩いてみたい。

 

梅雨の晴れ間に作戦決行した。

 

自宅から12km離れた市街地のパン屋さんを目的地にした。純粋にどこまで歩けるかでも良いのだが、目的がないと動けないやさぐれた大人になってしまった。

 

普段車で通る国道沿いは、騒音が酷く空気も良くない。一本奥に入った道路を進むと、また違った景色が広がっていた。

 

時には、犬に吠えられたり、素敵な家をジロジロ眺めていると不審がられたり。

 

一体、私、いい歳して、何やってんだか。。

 

誰にも言わずに作戦決行したものだから、自分でもおかしくなる。いや、面白くなる。

 

何でもやってみたいことは、やる。誰にも咎められはしないし、本人の自由でしょう。そこに意味があっても、なくても構わない。自分のことだから。

 

ナビでは徒歩2時間30分のところを、日傘で紫外線対策をしながら3時間かけて歩いた。

 

流石に帰りは歩く体力が残っておらず、電車に乗った。

 

不思議なことに、私の近くには乗客が座らない。

 

ん?

 

それもそのはず、紫外線とコロナ対策で、目元から首下、首の後ろまでをぐるっと覆った日焼け防止マスクに広いツバの帽子を目深にかぶり、大きなリュックを背負った出立ちでは怪しかったに違いない。

 

翌日、色んなところに痛みがあった。あの頃の遠行とは、また一味違ったものだった。

 

何の意味もないが、やってみて満足した。

次は、何をしてみようかワクワクする。

孤食

食事は誰かと一緒にした方が美味しいと言われる。

 

子供もお年寄りも、1人では食が進まないが、一緒に食べる人がいると食事も進むというもの。

学校給食や、デイサービスなどでの会食も大いに意味があるといえる。

 

ふと自分を省みる。

 

職場では感染症対策のため各自デスクで前を向き無言で食べる。

自宅では、子供達とも生活時間が異なり、各々のタイミングで食べる。

 

1人で食事をすることがほとんどだ。

 

子供が小さい頃は、一緒に食べることで、食事のマナーを教えたり、嫌いな物も残さず食べられるように諭したものだった。栄養補給以外に、躾やコミュニケーションの場、一緒に食べると親近感にも繋がる。

 

今、私自身1人で食べることで、それなりに美味しいと感じる気持ちもあるが、気の抜けた独りよがりな食事時間になっている気がする。

 

いいのか、悪いのか。

嘆いても仕方がないのだが。

 

今更、人前で口を開けて食べる姿を晒すのは抵抗感さえ感じる。

 

食事に対する概念もコロナ禍で変化してゆくのだろうか。

 

1人で食べるのも良いが、いつかまた誰かと一緒に食事をして、美味しさを分かち合いたい。

それが、本心であることを認めよう。

 

どこか寂しさを拭いきれない事も認めよう。

 

それもこれも自分で選択した結果であり、そんな自分を認めよう。

 

よく、利用者様が言われるフレーズがある。

 

「思うように体が動かないけど、生きていかなければ仕方がないからね。早くお迎えが来れば良いのだけれど、仕方がないもの。」

 

明日のことは分からない。

今出来ることをするしかない。

後悔しないように。

 

歯科矯正

娘の歯科矯正を始めて5年は経つだろうか。

 

早く始めるほど抜歯は不要らしく、低所得者の1人親世帯ながらも資金を捻り出してのスタートだった。

 

私自身、歯並びが良いとは言えず、子供の頃に歯科矯正をしてほしかったが叶わなかった。

 

親の成し得なかったことを、子供に託すのは良くないと言われるが、歯科矯正は親としての義務だとの思いがある。放っておいては、頬から八重歯が突き出しかねない状況であったのも事実。

 

歯科矯正には1期と2期、固定期だったか段階がある。1期では、まだ幼い娘の口の中の金属の装置を決められた日程で、ネジで回して広げた。

 

2期は、今流行りのマウスピースのインビザラインか、お馴染み歯にボタンを付けるワイヤー矯正になる。

 

インビザラインは、食事以外は常時装置の必要があり、まだ中学生の彼女が自己管理できるのか不安が残った。

今なら、ワイヤー矯正と同額でできるという主治医の勧めもあり、インビザラインを選択。

 

やはり常時装置は困難であり、毎週交換するマウスピースが徐々に合わなくなる。一度は型を取り直し、新しいマウスピースを海外に発注された。

 

1年後、状況は変わらず、ワイヤー矯正への変更も提案される。

 

しかし、ワイヤー矯正は、歯茎にスクリューというネジを打ち込み固定するらしい。しかも、数カ所。

どう考えても痛い。

でも、このままだと矯正は永遠に終わらない。かと言って、常時マウスピースを装置するのはハードルが高すぎる。

 

彼女が出した答えは

「ネジを打つ」

だった。

 

彼女の決断にただただ感心し、尊敬すら覚えた。まだ中学生の彼女に、そんな決断を迫らねばならない自分を責めた。申し訳ない。

 

なら、やろう。

 

それから、歯の表面にボタンをつけて、口蓋に針金の装置が固定された。その後、もう3回ほど、通っているが、まだスクリュー(ネジ)は付けられていない。

 

いよいよかと、毎回覚悟して歯医者に行くが空振り状態。

あわよくば、スクリューなしで矯正完了して欲しい。

 

毎回定額で請求される医療費。自由診療であり、その処置内容や診療費の内訳は定かではないが、医療保険対象外であり、まして自力で矯正など出来るはずもなく、言い値に従うより他ない。

 

ここまで来たら後戻りはできないし、娘にしてあげられるのは、これくらいのことしかない。幸せな人生を歩んで欲しい。

コロナワクチン接種1回目

高齢者施設職員のコロナワクチン接種の順番がきたことは、突然知らされた。

 

受けませんなんて言える雰囲気でもなく、迷いはあったが、仰せの通り、昨日1回目のワクチン接種を勤務先の施設で受けた。

 

テレビで見ていた、針を垂直に腕に刺す光景。いかにも痛そうだが、先に受けたものからは、全然痛くないとの感想。

 

実際、針が皮膚に入る瞬間のチクッとした痛みはあったが、あっという間の出来事だった。

 

その後、数十分おきに体温測定や経過記録を自分で行う。特に変化なし。

 

夜、普通に入浴する。食欲があり、間食するのはいつものこと。

 

資格試験の勉強に取り掛かると、数分で睡魔に襲われる。目を開けていられない。

21時就寝。

それは、ただ勉強したくないからか、副作用での眠気なのか定かではない。

 

夜、接種した方の腕が痛み、寝返りを打てない。腕を下にした痛みで数回目覚める。我慢できないほどではない。

 

朝、いつものように弁当作りに取り掛かる。接種した部位が痛み、フライパンを、持つ腕が辛い。発赤もなく、シコリもない。ただ、何となく痛重いといった感じ。

 

同じく昨日1回目の接種をした者と、経過を語り合うと、眠気と痛みは共通していた。

 

とんでもなく辛いものではなく、接種したという精神的なものかもしれない。

 

最優先で接種を終えた施設職員によると、やはり報道の通り、2回目の接種後に熱発し、仕事を休んだ者もいる。熱発はないにせよ、だるい、ほてるなどの訴えは、若い者の方が圧倒的に多いようだった。

 

入所されているお年寄りの熱発者は、ほとんどいなかったようだ。

 

遠いところの話だと思っていたワクチンが、今自分の体の中にあるなんて不思議な感覚だ。

 

何があってもおかしくない世の中を再認識する。

2回目は、3週間後の予定。

 

コロナの早期終息を願うばかりだ。