satoimo's diary

人生も折り返し地点を過ぎた。自分を大切にするためには...

引掛けシーリング

自宅の電気をシーリングライトに交換した。

 

ただ一か所だけ天井のソケット?が旧型でカバーの上から丸ねじで固定しており、カチッと取り付けることができなかった。

他の天井のソケット?を外して確認、2本の線を部品に差し込んでいるだけの簡単な作りなようで、ホームセンターに買いに走った。

 

ところが、それは長方形と丸型があり、値段も様々。どうやら引掛けシーリングというらしい。自宅で見た記憶を頼りにそれっぽいものを2個購入した。

 

しかし、どの程度まで線のカバーを外してどこに接続するのか分からない。スマホで検索すると、仕組みは理解できたのだが、その作業をするには「電気工事士」の資格がいると書いてある。「素人」は絶対に配線に触れてはいけない、電気工事は必ず有資格者へ依頼をするように!と、どのサイトでも警告しているではないか。

 

あと一歩なのに。部品はそろって仕組みも分かったのに。

 

でも、もし間違って配線して留守中に家事になったら大変だし。何より、「シーリングライトを取り付けようとした40代女性が感電死」なんてネットニュース一位になりたくなんてない。「〇〇さんのお母さん、自分で配線工事しようとして感電死したらしよ。そういえばケチだったものね、お金を浮かそうとしてしたんだろうけど、かわいそうに」なんて事態は避けたい。

 

ゴム手袋をすれば感電は免れるかも。でも、万が一失敗したら子供たちに申し訳ない。と何とか思いとどまり、知人の知人の電気屋さんにお願いすることにした。

 

案の定、コンセントを剥いて、さっと差し込み、ねじで固定され終了。

工事時間3分、工事費用3,000円也。

 

やっぱ、自分でもできたかも。いやいや、これで良かったんだ。ていうか、配線の勉強をして電気工事士の免許取得を目指そうかしら。

 

配線工事は有資格者へ!!

熱波師

息子がサウナにハマっており

サウナボーイの存在を知った。

 

始まりは近所の温泉通いであったが

市街地の温泉に足を伸ばし

いつしか

繁華街のビジネスホテルにある

殿方専用のサウナ通いとなった。

 

オロナミンCとポカリを混ぜた「オロポ」という飲み方が、サウナ上がりに染みるらしい。

 

空腹でサウナに入った後の「サウナ飯」が美味いらしい。

 

今治タオルのサウナハットに、カプセルトイの砂時計と、グッズは増えていく。

 

200円の玉葱を買うにも躊躇する私からすれば、何たる贅沢。週2でサウナ通いなんて。

 

そんなことはお構いなしに、突き進むサウナ道。

 

ならば。。

 

隣市の温泉街にあるスーパー銭湯に、息子と娘を引き連れて行くことにした。

映画を一本鑑賞できる料金をなくなく支払い、温泉で温まった後、貸出の館内着をきて、ゲルマニウム温浴を済ませ、いざサウナへ。

 

1時間おきに開催されるという「ロウリュウ

 

アナウンスの後、軽快な音楽と共に颯爽とあらわれたのは、そう「熱波師」だ。

 

まるでコントのような口調で、一人一人の前に立ち、大判のタオルで扇ぐと、ブワッと熱波が襲いかかる。まさにアミューズメント。熱い。そして、なんだか少し面白い光景。

 

あっという間にショータイムは終了。その後は隣のアイスルームに移動。熱々の身体を休めていると、またまた熱波師が登場。一人ずつタオルで仰ぎ冷風を送ってくれた。

 

久しぶりに普段と違うことをして、新鮮な気持ちになった。

 

もちろんサウナ上がりは、オロポをいただき、サウナ飯と行きたいところであったが、中途半端な時間で食堂はクローズ。

 

ま、オロポを体験できたから、良しとしよう。

これで私も、サウナガールかな。

文化祭

高3の息子の文化祭

 

いつものごとく案内のプリントはカバンの下でぐちゃぐちゃになり、手元には届かなかったが、「君の青春を感じたいから、ぜひ行きたい。こっそりに見に行くだけだからさ」と懇願し、しぶしぶ了承を得て、何とか駐車許可証を手に入れた。

 

コロナ禍でもあり、高校生活最初で最後の文化祭だった。

 

体育館の3階の保護者席からは、同じ制服を着た生徒たちがきれいに並べられたパイプ椅子に腰かける背中が見えた。久しぶりの光景だ。

つい、今までの癖で息子のクラスの後ろの席に腰かけた。さすがに、高校生ともなると観覧に来る保護者も少ないようだった。

 

生徒会長は女子生徒、校長の英語のスピーチ、教師達のTikTok動画に、合唱部5名の歌声、同性に恋する高校男子が主人公の演劇、とリズムよく舞台が繰り広げられていく。初めは、高校生になったんだなと息子の成長を感じ、親目線で見ていたが、次第に自分の高校時代を思い出していた。

 

女子高の1クラスしかない食物科だった。担任からなぜか文化祭実行委委員長に任命され、1週間ほど前から、バザー販売用のパウンドケーキ、クッキー、アップルパイを食物科総出で数百個単位で作りストックしていく。当日は飛ぶように売れたものだった。

 

文化祭のテーマ決めは、夕日の差し込教室で話し合ったのを覚えている。当時流行していた篠原涼子の、確か「”レディジェネレーション・淑女の世代”なんていいんじゃない?女子高だしさ」というノリだけで私の案が採用となった。いいじゃん、面白そうだし。なんて。

 

舞台発表は、「高校三年生って、面白いんじゃない?三年生だもんね」のノリだけでまた採用され、三角巾をかぶり、各々お玉やお鍋など小道具を持ち大合唱した。

 

クラスメイトの彼氏が大学生でバンドを組んでいた。「来てくれたら、盛り上がること間違いなしだよね、どうかな?」の一言で、大学生バンドを招待し、高校三年生の次に数曲演奏してもらった。今でも忘れない、客席からは「男の匂いがするーっ!」なんて大盛り上がりだった。

 

面白そうというだけで、何の根拠もなくやってみる。他者の提案も「それ、面白そう、いいじゃん」なんて、そのあとの責任なんて考えずにとりあえず行動する。ノリだけで、ひらめきだけで生きていたあの頃。失敗もあったのかもしれないが、忘れてしまった。ただ、何の縛りもなく、好きなこと、面白いことが判断基準だった。

 

そんな思い出話を娘にしていると、「そのころの方が、お母さん、楽しそうだね」と言われて、はっとした。確かに、その通りだった。大人になってしまい、いつしか後先考えるようになってしまい、面白いことをしたい!という気持ちがなくなってしまった。今、無条件に楽しいことなんて皆無だ。

 

それが大人なのだろうか。

 

だとしたら、なんてつまらないのだろう。大人になんてなりたくない。いやいや、それは私が勝手に思い込んでいるだけで、アラフォーになった今だって、高校生のように面白いこと、ワクワクすることをやってみてもいいのではないか。

 

ただ、それを見つけるアンテナが壊れてしまったようなので、修理をしなくては。

 

母親になったからといっても、面白いことをしたっていいんだ!!自分に遠慮するのはもうやめよう。

新米歯科助手さん

数か月に一度の歯科でのメンテナンス。

 

50代半ばの男性歯科医が個人経営するクリニックは、診察台が5席、行くたびに歯科助手さんの顔ぶれが異なることは気にかかっていた。便利の良い場所であり、国民皆歯科検診なんてワードも取りざたされていることもあり、メンテナンスは続けていきたい。

 

その日は、奥歯に虫歯が見つかり治療を受けることになった。

 

待合の患者さんも増えてきて、私のような突発的な治療による時間延長も重なり、普段以上に歯科医の苛立ちを感じる。

普段から、おそらく新しい歯科助手さんに仕事を教えるために、患者さんの前でもお構いなく指示が飛ぶ。心の中で「がんばれ」と応援しほほえましく思っていたが、その日は、聞いているのもつらかった。

 

「ちゃんと聞いておかなきゃ」

「出来ないことをしようとしないで。試さないでね」

「そんなんじゃ息ができないでしょ」

「そんなに入れたらゲッてなるでしょ」

「もうここはいいから、あっちへ行って」

 

歯科医だけでなく、歯科衛生士さんらからも総攻撃を受ける助手さん。

 

診察台は満席で、そのやり取りを皆聞いているはず。なにも、患者さんもいる前でそこまで言わなくても。

 

「ちょっと、時間がないから、さっと削るね」

奥歯に器具が当たった瞬間、激痛が走る。

 

「痛い?じゃ麻酔するね。時間ある?」

 

歯科医は、私の歯茎に麻酔の針を刺しながら、手元は見ずに、助手さんに指示するため、こちらは恐怖でしかない。それから隣の方が終わるまで数分待機。カオスな空気に、また今度、時間があるときにお願いしますと帰りたい気持ちであったが、美容院でのパーマの待ち時間同様、診察台の上では成す術がない。

 

「ほら、お客様、お待たせしているから、さっさと考えて動いて」

 

もう、歯科医に身をゆだねるしかない。どうにか正気を取り戻して、穏やかに治療してほしい。

 

「だれか、光できる人いる?」

 

歯科衛生士さんに入れ替わり、先ほどの助手さんが隣につく。

 

「唾液出てるでしょう。光を遮らないで。そこに立つ意味があるの?こちらはよいから、他の所へ行って」

 

確かに助手さんの唾液を吸う作業は、的外れで唾液は全く処理されず、グイっと口元を引っ張られたが、ちょっと、言い方が・・・。

 

その場で、衛生士さんを抱きしめたくなった。そんなに怒らないで。仕方がないじゃない、こちらは大丈夫だから、優しく教えてあげてよと。

 

何とか無事に治療を終えたが、もうこのクリニックに来るのはやめようと思っていた。こちらが辛くなる。その時だった。

 

「〇〇さん、痛い思いさせちゃってごめんね」

 

ぼそっと後ろから歯科医のつぶやきが聞こえた。

 

痛かったって分かっておられたのか。

歯科医なりのポリシーをもって診療にあたり、それにまだついてゆけない助手さん。また数か月後のメンテナンスを予約し、行く末を見守っていきたいと思う。

互助会論争

勤務先の社会福祉法人では、毎月互助会費として給与から数千円天引きされる。その会費で2年に1回の職員旅行、忘新年会、慶弔費の支払いが行われていた。PTA同様、特に説明もなく入職と同時に会員になっていた。

 

が・・

 

コロナ禍で慶弔費以外の活動は休止。天引きは継続。この事態に不満の声が噴出。

そもそも、多くの職員は互助会の意味も分からず会員としての自覚など持てる訳もなく旧態依然の運営が、ただただ継続していた。

 

この事態に、2年ぶりに総会と言われる場が設けらた。発言するのはいつも特定の者ばかりであり、今回は、一人ずつ、互助会の運営についてコメントを求められた。50名ほどの参加だったろうか。

 

20代の若者から60代、パートの女性まで、本音が飛び出す。

 

「親睦のために必要だと思う。」

「旅行が楽しみ。」「なくなると親睦が図れない。」

と肯定的な意見は勤務年数が長かったり、役職についている者の意見。

 

「会費が高い。」

「入会の意思確認もなかった。」

「飲み会や旅行なんてストレス。」「行きたくもない。」

入職してまだ数年であったり若い世代の意見。

 

コメントの内容よりも、皆一様に、マイクが回ってくると、しっかりと自分の意見を発言されてたことに驚き、心動かされた。

 

普段は、発言の機会すらなく、一部の者の意見で都合よく動かされている感があるが、各々考えを持ち、妥協や波長合わせをしながら協調性を保っているだけで、そこには我慢もたくさんあったのかもしれない。

 

私は思いを言葉にするのが苦手だ。上手く話すことができない。それだけに、皆がしっかりと自己主張されることが、なんだかとても嬉しかった。確かに、全員の意見を聞いていると収集がつかないのも分かるが、どう転ぼうと、この場で自分の意見を表出できただけでも、納得感は得られるのではないか。

 

マイクが回ってきた。色んな人の意見を聞き、気持ちは揺れていたが、どう思われようと今の自分の気持ちを主張したい。

 

「正直、飲み会は苦手で旅行も行きたくありません。ただ、同じ職場でも顔も名前も知らない方も増え、コロナ禍の影響も大きいのでしょうが、漫然と出勤して自分のケースだけこなし時間が来たら退社する毎日。自分はフリーランスで仕事をしているのかと思うこともあります。何らかの形で交流が持てれば良いのかなと思うので、互助会は一旦解散して、新しい形での委員会なりを作っても良いのかなと思いました。」

 

他人にどう思われるかを気にして言えなかったことも多いが、正解不正解ではなく、自分の考えを発言することができ、爽快感を覚えた。

 

その後もマイクパスは続き、各々意見を述べる。

 

ただ、一つ気になったのは、先に発言した者の意見を持ち出して否定し、自分の意見を述べる話し方。

 

「(先に発言した者の意見)は〇〇なので良くないと思います。私は〇〇だと思います。」

 

それは何か違う気がする。色んな意見を出し合う場なのだから、良いも悪いもないし、それはその者の一意見なのだから、批判や評価は不要ではないか。あなたはそう思うのね、私はこう思うのよ。でいいじゃない。

 

結果、1~3案の多数決を取ることになり、互助会はその日をもって解散することとなった。全員賛成の結果ではなく、各々思うところもあるだろうが、互助会について考える契機になったのは確か。さぁ、次はどうなっていくのか・・。

 

もう一つ、反省したことは、私自身互助会というものをよく分かっていないことだった。よく分らないものについて、意見の出しようもないはずなのに、飲み会が嫌いという感情だけで意見としてしまった。

 

敵を知り、己を知れば百戦危うからず(敵でもないのだろうが)

 

良い年してまだまだ反省の日々である。

そういうタイプの管理者

「いいです、俺やりますから」

 

またしくじってしまった。

職場の管理者は、そういうタイプの人間であったことをつい忘れてしまい、手伝おうとすると、嫌な思いをするのはいつも自分。彼が悪いわけではない。

 

良かれと思って声をかけたり、手を出すと、ぴしゃっと否定される。おそらく、彼は否定しているつもりはなく、もしかするとこちらに負担をかけないように、すべて自分で引き受けているつもりなのかもしれないが、こちらからすれば、こちらの思いを受け取ってもらえずシャットアウトされ、不完全燃焼に陥る。悪いことをした気持ちにもなる。

 

自分が嫌な思いをしないためにはどうしたものか?

 

相手を変えることなどできないとよく言われる通り、こちらが変わるしかない。

考え抜いた結果、できるだけ彼に近寄らず、声をかけず、手伝おうなんてもってのほか、余計な口出しはせず、必要最小限の事務的なやり取りだけすることにしていた。

 

そうするうちに、なんだか自分がとても気の利かない人間になってきたようで、自ずとコミュニケーション能力も落ちていったように感じる日々。余計なことを言ってしまっては、また自分が嫌な思いをする、その事態を避けるために次第に笑顔は消えていったように思う。

 

もし、私なら・・・

 

好意はいったん受け止めて、お礼を言った後で、手伝いは不要なことを伝えたい。そうでなければ、一方通行になってしまうから。

良いことも、そうでないことも、投げかけられた気持ちや言葉は受け入れなくても良いが、受け止めてほしい。そうでなければ、全否定されているような気持になってしまうから。

 

彼と同じ職場で働くのは、なかなかの心構えが必要になる。いかにして、自分の平常心を保ち、そういうタイプの彼と上手くやっていくのか。

 

以前は世間話もしていたが、彼は自分の言いたいことを一方的に話し、相槌さえ必要としないようだった。もちろん、こちらの話に興味もないようで、何か聞かれることもない。話し手は常に彼であり、ただ聞き手に徹するのは、何の面白みもなかった。そんなんなら、壁に話しかければ?私はあなたのはけ口ではないとさえ感じたこともあった。

 

人の話を聞かない、意見を受け止めないことは、相手の存在を否定し、役割喪失にまでつながりかねないことがよく分かった。

 

もう少し、こちらがいやな思いをしないように対策を練ってみようと思う。

 

モバイルオーダー

日曜の正午。

 

マクドナルドのドライブスルーは長蛇の列だった。店内で食べたいのだが、ドライブスルー待ちの列に阻まれ、駐車場が空いているのに辿り着けない。

反対方向から回り込むと、すんなり駐車できた。

 

店内もカウンターの前には長蛇の列。その列をすり抜けて2階に上ると、テーブル席には、かなりの余裕があった。

 

窓際に腰かけ、テーブルを見ると、モバイルオーダーの番号が書いてある。

 

もしかして。

 

スマホで注文し、カウンターで受け取り待ちをしたことはあったが、テーブル席から注文して、テーブルまで持ってきてくれるなんて!

 

なんて便利なの!!

 

早速、アプリから注文してPayPay決済完了。

程なくして、年配の店員さんがテーブル席まで持ってきて下さった。なんだか、申し訳ないくらい親切。なんなら、こちらこら取りに行くのに。

 

普段なら、まだドライブスルーに並んでヤキモキしているのだろうが、数分の間にハンバーガーを頬張ることができた。

 

便利さに感動した出来事だった。

 

反面、病院の診察予約は前もってネットで行うのに、待ち時間がなかったことはない。2時間待ちなんてまだ良いところ。診察はもとより、会計に何十分もかかるのが、不思議でならない。

 

ハンバーガーのようにはいかない人相手なことは承知の上だが、マクドナルドに習って、もう少しシステマチックに、ロスタイムも考慮の上で、余裕のある予約枠を設けて欲しい。

 

AIが解決してくれることを願う。