食事は誰かと一緒にした方が美味しいと言われる。
子供もお年寄りも、1人では食が進まないが、一緒に食べる人がいると食事も進むというもの。
学校給食や、デイサービスなどでの会食も大いに意味があるといえる。
ふと自分を省みる。
職場では感染症対策のため各自デスクで前を向き無言で食べる。
自宅では、子供達とも生活時間が異なり、各々のタイミングで食べる。
1人で食事をすることがほとんどだ。
子供が小さい頃は、一緒に食べることで、食事のマナーを教えたり、嫌いな物も残さず食べられるように諭したものだった。栄養補給以外に、躾やコミュニケーションの場、一緒に食べると親近感にも繋がる。
今、私自身1人で食べることで、それなりに美味しいと感じる気持ちもあるが、気の抜けた独りよがりな食事時間になっている気がする。
いいのか、悪いのか。
嘆いても仕方がないのだが。
今更、人前で口を開けて食べる姿を晒すのは抵抗感さえ感じる。
食事に対する概念もコロナ禍で変化してゆくのだろうか。
1人で食べるのも良いが、いつかまた誰かと一緒に食事をして、美味しさを分かち合いたい。
それが、本心であることを認めよう。
どこか寂しさを拭いきれない事も認めよう。
それもこれも自分で選択した結果であり、そんな自分を認めよう。
よく、利用者様が言われるフレーズがある。
「思うように体が動かないけど、生きていかなければ仕方がないからね。早くお迎えが来れば良いのだけれど、仕方がないもの。」
明日のことは分からない。
今出来ることをするしかない。
後悔しないように。