satoimo's diary

人生も折り返し地点を過ぎた。自分を大切にするためには...

意味のある徘徊

徘徊という言葉はあまり好きではない。

 

1人で遠くまで歩いて出かけると、徘徊老人扱い、買い物先でマイバッグに入れた商品をレジに渡すのを忘れると、犯罪者扱い。

 

「夜中に隣の男が玄関のチャイムを鳴らしに来て眠れないの」

「娘と喧嘩をして、もうここにはいられない」

 

その行為だけ見ると、徘徊や軽犯罪、幻視や幻聴、思い込みなど認知症の周辺症状とも捉えられる。困った周りの人間は、その行為を押さえつけようとしてしまう。

 

遅発性パラフレニーと診断された80代の女性。

 

徘徊が頻回になり、ご近所トラブルに発展。自宅で暮らすためにはご近所との関係性は重要であり、つい家族は本人を責め立ててしまう。一番不安なのは本人であるのに、家族がゆえに距離感が分からなくなることも多い。女性の行動を制限したことが原因かは不明だが、女性は次第に元気がなくなり、瞼や頬、額などに何か黴菌が入り込んだようで腫れあがり、なかなか治らなくなってしまった。

 

毎月の訪問時が、唯一女性と一対一で向き合える時間だった。

 

毎回、昔のことを繰り返し話されるが、よくよく聞いていると、子どもの頃や結婚当初、家で怖い目に遭い逃げたという話が出てくるようになった。

 

もしかして、何か怖い目に遭ったから一人で家にいるときに思い出して、逃げるように出かけるようになり、それが徘徊といわれる行為になっているのではないだろうか。。

 

娘さんにお会いした際に、その話をすると、「実は・・」と語り始めた内容に衝撃を受けた。

 

幼少期継母から逃げるように親戚の家へ行っていた。結婚当初、親戚に家で包丁を突き付けられて逃げ出した。夫は昼間から飲酒し、子どもにも手を上げていた。玄関先にお客さんから火をつけられたことがあった。

 

娘が年頃の頃、隣家の男が夜間、娘の布団に入り込んだ事件があった。

 

単に認知症が原因だろうと思っていたが、女性の言動には過去の辛い経験がリンクしていることが分かった。火のないところに煙は立たずで、ふとした時に過去の恐怖体験がよみがえり、さも現実の事のように妄想にすり替わるのかもしれない。女性にとってはそれらの恐怖体験は今現実に起こっていることで、恐ろしいに違いない。なのに、周囲の者は理解してくれずに、女性がおかしいという。

 

そんな辛いことがあるだろうか。

どんなに心細いだろうか。

 

認知症を詳しく学んだわけではない、素人考えではあるが、意味のない徘徊なんてない。そう思えてならない。

リンク先が分かっても、24時間女性を見守っていることはできず、結局は施設入所を検討されることとなった。

 

今の私は、ただ話を聞いて頷くことしかできない。それで、女性の気持ちが少しでも軽くなることを願って。