satoimo's diary

人生も折り返し地点を過ぎた。自分を大切にするためには...

1級技能士 39,000円

スーパー駐車場から出庫の際、助手席側のドア下をブロックにぶつけてしまった翌日。

ドアが凹み修理は必須・・。

 

①ディーラーに頼むか

②大手のチェーン店に頼むか

③職場の社用車取引先に頼むか

 

おそらく安価で済みそうなイメージのある③を選択し、同じくよく車をぶつけられる事務担当者に取引先の連絡先を伺った。以前は社用車について大手の保険会社に入っていたが、経費削減で保険会社を変更したらしい。

その以前、保険会社経由でお願いしていた個人の板金塗装屋さんに直でお願いできるらしく連絡を取っていただいた。

 

その日のうちに、職場まで代車に乗ってきてくださった板金塗装屋さん。

 

「またぶつけるかもしれないから、さびない程度に色を塗ってもらえれば良いんですが」

 

「いや、私は古い人間だからお金をもらう以上、いい加減なことはできない。部品代は7000円くらいだと思う、板金工賃は30000円でいいですよ」

 

「お願いします」

 

ヘタすればドアごと取り替えないといけないのではと心配していたが、見積もりなんて言っていられない、代車を持ってきてくださったし、即決依頼するほかない。職人気質の今は亡き父に似た雰囲気にも後押しされ、信頼感が感じられた。

 

「仕上がる前日に連絡入れますから」

 

2日後、工場に取りに伺った。

 

郊外の山沿いにある昔ながらの修理工場。辿り着くのに二度道を間違う・・。開けっ放しの大きなシャッターをくぐると、何事もなかったようにドアは修理されていた。

何度も声をかけるが人の姿はない。

 

工場の片隅の埃のかぶった事務机には、黒電話がおいてある。メモや書類が無造作に置かれ、奥には数部屋ドアなしの一段上がった和室があり、こたつや不用品であろう粗大ごみが散乱していた。もちろん、エアコンなんてない。

 

なんだか懐かしさを覚える空間をしばし観察し、塗装屋さんに電話をかける。

 

「ごめんなさいね、今から向かうから少し待っていて」

 

「ゆっくりで良いですよ。待ってますので」

 

工場の壁には、「1級技能士」の資格証が額縁に入れてかけてある。昭和53年のものだ。工場の外には、福祉施設の送迎車と思われるボンネットが凹んだ車や、数台の軽自動車が止めてあった。壁際には塗料や、いろんな工具が使ったままの状態で置いてある。

 

「ごめんね、もう少しゆっくり来るかと思って。ご飯食べに家に帰っていてね」

 

「こちらこそ、すみません。ドア、何事もなかったようにきれいにしていただいてありがとうございます」

 

「そう、それは良かった。待ってね、今車の埃をはらうから」

 

大きなふさふさのモップで車の埃をはらってくださる。

その塗装屋さんは、昭和23年生まれ。

つなぎの作業着のズボンは膝上までまくり上げ、真っ黒に日焼けした顔に、整備士さんらしい角ばった帽子をかぶっておられる。

ご本人も言われる通り、まさに昔ながらの職人さんだ。

 

昔は、板金塗装を学ぶ学校があって資格もあったが、今は現役でしている方は少ないらしい。

車の造り自体も変化し、板金で修理できない素材のドアもあるらしい。

修理ではなく、ドアを丸ごと交換することも増えている。

昔は、部品が素で納品され工場で塗装していたが、今は色付けされた部品が主流。

その交換に技術は不要、パーツを組み合わせるだけ。

そんな話をしてくださる。

 

「板金塗装は必要なくなる、そんな時代になってきている気がする」

 

子どもに跡継ぎは望まず、一代で終わる予定。

冷蔵庫などの家電も、修理すれば使えることも多いが、修理中の代替品の調達も難しく、修理するより買ったほうが安い。

家電やスマホも耐用年数を考えて、数年で壊れるようにできているのではないか。

家づくりも、昔は大工さんが現場で作るものだったが、今は工場で作り、現場では組み立てるだけ。

 

便利な世の中だ・・・。

 

誰だってできる・・・。

 

大量生産大量消費

使い捨て

リサイクル、リユース、リデュース・・・

 

そのものの仕組みがどうなっているのか?

そんなことを考えながら自分なりに修理して新しいものを生み出す。

 

もったいないし気に入っているから

手入れをして修理をして大事に使い続ける。

 

どちらが良いとも知れないが

価値観が変わってきているのは確か。

 

昔ながらの板金塗装屋さんは

いつもニコニコ現金払い。

 

少し分厚い封筒に入れた修理代39,000円

仕上がりに大満足であり惜しみなくお支払いした。

これからも

信念を貫いて頑張っていただきたい。