satoimo's diary

人生も折り返し地点を過ぎた。自分を大切にするためには...

共依存からの離脱

元夫は典型的なアルコール依存症であった。

 

今なら分かる。

当時は分からなかった。

私も共依存に陥っていたことを。

 

仕事帰りにアルコールを買って来いと言われるのが、とても嫌だった。しかし、買って帰らねば、本人が飲酒運転をして買いに行くため要求に応じていた。

 

缶ビールが何十本と転がり、刺身のつまが床に散乱した異臭の漂う異様な光景は、今でもフラッシュバックすことがある。

 

協力者がいるから飲酒から抜け出せない。本人に自覚はなく、こちらもいつの間にか、共犯者になっていく。

 

君がこうしないから、こうなるんだ。君がこうしろというから、こうなったんだ。俺は病気なんだ。だから、俺は悪くない。

 

そう言われるたび、じぁ、私はもっと悪くないじゃない。病気が悪いとしても、病気なのはあなたでしょう。私のせいにしないでよ。そう呟いても通じるはずもなく、やり場のない怒りや辛さ、憐れみを押し殺して、周りに悟られぬよう普通の生活を送っているように見せかけるのに精いっぱいな毎日だった。誰かに相談しようなんて発想はなく、社会から孤立していく感覚だった。

 

そうやって、アルコール依存症者は共依存者を作り出し、再飲酒のループにはまり、終焉を待つだけの身となる・・とは言い過ぎだろうか。互いに、次第に、確実に正気を失っていき、正常な判断ができなくなる。

 

辛いことばかりではなかった。楽しいこともたくさんあった。

今だからそう思えるのもよく分かるし、そう思える日が来るとは渦中にいた際には想像すらできなかった。

 

コロナ禍で子育て世帯などが話題になる中、私は「低所得者世帯のひとり親家庭」に分類されるであろうことを知った。

確かに、余裕のある生活とはいえない。

しかし、私の場合は、あのままの生活を続けていたらと考えると恐怖でしかない。

 

1人親のワンオペ子育て。憐れみの目で見られることもあるが、夫がいたとしても、仕事に行ってくれるか心配し、仕事を休むと言えば代わりに連絡をし、支払予定の家賃を無断でギャンブルに使われ、毎月の給与も当てにできず、お金の心配ばかりする生活なんてもう二度とごめんだ。そんな環境での子育ては負のループに陥るのが目に見えていた。

 

仮に将来、共に過ごしたい人が現れたとしても、その人の人生まで背負う自信はないし、自分と子供の心配で手一杯。もっと言えば、人を頼りにすることができない、信用できない、自分しか信用できない。

 

まだまだ共依存からの離脱ができていないのかもしれない。

 

自分ではどうしようもできないことの責任を負うことは、今の私にとっては恐怖でしかないから。やはり、あの数十年の人には言えない生活の感覚が、私の中から完全になくなることはなく、もう一般的な方々のような感覚や幸福感は取り戻せないのかもしれない。

 

見捨ててしまったのではないかと自責の念に駆られる時もあった。

プライベートなことを今でも人に話せない。

何かにつけて自分に責任があるのではないかと感じてしまう。

 

仕方がない。

 

自分で選んだ人生なのだから、苦しみを感じながら、今を生きていくしかない。辛いことを思い出すこともあるが、低所得者のひとり親世帯であろうと、今が一番幸せだと思っている。ようやく最近、日の当たる道を歩けるようになった思いがする。何も負い目を感じる必要なんてない、私は私で良いのだ。