高校三年生。
クラス替えがあり友人と離れてつまらない、授業が遅い、学校に行く意味がないなどと到底私には理解不能な理由を付けて、学校をさぼる時期が続いた。担任の先生とも話し、卒業できるラインの登校日数の確保しつつ、大学受験を目指すこととなる。
とはいえ、自宅で勉強する素振りもなく、果たしてその旧帝大と言われる大学に入れる、いや受験資格があると本気で思っているのか?現実を知るために、県外のその大学に偵察に行くことを勧め、同じくその県に就職内定した友人と共に出かけたのは夏休みだった。
それが、判断ミスだったのかもしれない。
遊ぶことの楽しさを覚えたようで、受験勉強へのスイッチが入るどころか、どこかしら友人たちと出かけることが増えている気がする。
今、何を優先すべきか?真っ向から行っても拒否され、見守っていても気づかない。押しても引いても応えない。押しすぎると、反抗期の再来で聞く耳を完全に閉ざしてしまう。受験の前に、人としての生活から立て直す必要がある。
あれこれ考え、なぜ、自分がこのような感情に囚われるのか?冷静に冷静に分析を試みる。
私:高校を卒業してほしい。
浪人せずに希望の大学に入学してほしい。
自分の希望する道に進み好きなことをしてほしい。
息子:ま、高校は卒業したいが行くのがだるい。
希望の大学しか受けたくない、入れなければ浪人する。
大学院まで行って〇〇先生の研究室に入り教授になる。
といったところだろうか・・
私は、息子の夢を応援しているがために、第一関門の大学入試が危機的状況であることを危惧しているとの認識であったが、本音は、世間体を気にしていただけなのかもしれない。本来は、息子がしたいようにサポートするのが親というものなのかもしれない。危なっかしくて見ていられないが、自分で失敗したり成功体験を積まなければ分からないことも多いのは事実。
ならば、健康で元気にしていてくれれば良い。
それに尽きるのかもしれない。
こちらも悟りの境地に達しなければ身が持たない。
見守ることができる強さが必要だ。