satoimo's diary

人生も折り返し地点を過ぎた。自分を大切にするためには...

おかしいでしょ

「早急にベッドを入れてほしい方がいるのですが・・」

 

訪問看護師さんから連絡をもらい、初めてお会いした女性は80代、ガン末期。長距離ドライバーの息子さんは不在で、昨日までは2階の寝室へ行き来できていたが、足がむくみしんどく、その日は1階のソファーで過ごされているらしい。要介護1だが、介護サービスの利用はなく、食事も自分で支度されていた。

 

要介護1では介護保険でのベッドレンタルは不可。役所へ例外給付の手続きを踏めば可能だが、時間を要し、他に希望の介護サービスはない。看護師さんは医療保険で来られる。月1,500円でベッドをレンタルできる業者さんを紹介し、自費レンタルを希望されたのは木曜日だった。

 

2日後

 

「お尻の皮が広範囲に剥けいていて褥瘡になっています。麻薬も開始し状態が悪いので、褥瘡予防マットレスをお願いできませんか?」

 

訪問看護師さんから朝一の電話をいただいたのは土曜日。

 

他の訪問予定を調整し、とりいそぎ自宅へ向かうと、長男さんが帰ってこられていた。本人はベッドに仰向けになり在宅酸素の流量も上がっている。木曜と明らかに状態が異なる。急変ということは明らかだった。例のごとく、要介護1では褥瘡予防マットレスはレンタルできない。自費では1万程かかる。例外給付の段取りを踏めば1割負担でレンタルができる。そのためには、まず役所へ一報を入れ仮の許可を得なければならない。しかし、その日は土曜日、役所は休み。さて、どうしたものか。

 

通常の段取りを踏めないため、役所の判断次第では自費レンタルになる可能性もあることを説明し、息子さんの了承を得て、いつも早急に対応くださる福祉用具業者さんに無理を言って数時間後に褥瘡予防マットレス(エアマット)を搬入していただいた。その間に、役所へ一報以外の通常の段取りを踏む。(この日が2回目の訪問であり、居宅ケアマネとの契約、アセスメント、主治医へ急変の状態像の意見を求める書類を作成し、病院相談員へ早急な返答を依頼しファックス送付、課題分析後ケアプラン作成、主治医の意見を踏まえて福祉用具事業所さんにも自宅に来ていただきサービス担当者会議開催。市へ提出する書類を作成した)

 

月曜日の8:30、役所の介護保険課へ必要書類を持参する。が、担当者2名とも選挙の応援に行っているため不在。書類を預かることはできるが、例外給付が認められるか回答はできないと窓口の女性。

(担当者2名とも不在なんておかしいでしょう。そもそも、土日に役所と連絡がつかないのも、そちらの都合でしょう?我々ケアマネはケアマネの事由で毎月のモニタリング訪問ができなければ減算となるというのに。)

 

納得できずに、説明を求めると、女性は奥からスーツ姿の男性を連れてこられた。男性は4月に移動になったばかりで分からない。担当者に後日連絡をさせるという。

(分からないって?同じ介護保険課なのにおかしくない?担当者しか分からないって、このBCPが求められるご時世に、役所の方がそんなこと・・堂々と・・)

 

その間、受付の女性は後ろの方からこちらの様子をうかがっていた。もう私はクレーマーでしかない。

 

帰りの車中で、訪問看護師さんから、昨日の昼頃、女性がご逝去されたと連絡が来た。

 

その足で、ご自宅に向かう。息子さんによると、最期は息子さんの手を握って目と目が合い、頷くようにして逝かれたとのこと。急変から短時間のことであったが、お話されることで気持ちの整理が少しづつでき、自宅で看取ることができ満足感も感じておられるようだった。女性も穏やかな表情をされているように感じた。

 

火曜日、市の担当者から連絡が来た。例外給付は認められませんと。

担当者が言うには、主治医のコメントの状態急変の日(水曜日)と、ケアマネの認識する状態急変の日付(土曜日)が異なり、主治医の日付の翌日、こちらが自費ベッドを手配した木曜日に市へ一報できたはずだという見解。加えて、HPにもそう掲載していますと。

 

ケアマネとしては、木曜の時点では初対面であり、急変の判断材料もなく、その際、本人は会話もできており、契約もしておらず、その意向もない状況。土曜は木曜と比べて明らかに急変しており急遽、契約し支援を開始した。

その「急変」とは何をもって「急変」というのか担当者へ尋ねても、「主治医がそう記載していますから」の一点張り。仮に女性が月曜の役所への書類提出時点でご存命であれば、その日からの役所の許可で何も問題はなかった。本人不在の状態で土曜に遡るため、後付けで指摘を受け、却下されたと思えてならない。

 

では、土日祝祭日と役所が休みの際はどう一報を入れればよいのですか?

私たちケアマネは現場で一人で判断しなければならない、ご利用さんやご家族へどうのように説明しろと?役所の方は課の方々複数名で検討できて羨ましいです。

(立派なクレーマーと化した私は自分でも驚くほど失礼な言葉が口から勝手に出てくることを他人の言動を見るような気持ちで聞いていた)

 

担当者は、「私たちは書面で判断するしかありませんから、もう一度課内で検討してみます。役所が休みの際のケースは今までなかったので検討します。」と30分以上の押し問答の末の回答だった。

 

水曜日、やはり主治医が急変と記載した日付の時点で連絡すべきだったため今回は受け付けられない。過去、他の例も受け付けていない。役所が休みの際には、FAXにて一報を入れ、翌開庁日午前中に申請書提出により、課内で検討するとの返答だった。

 

役所のルールに基づいた対応は十分に理解できる。が実用性がなく、制度を利用できるだけありがたく思えと言われているようにしか思えない。書面でしか判断できないと言われるため、こうやって電話で状況をお伝えしているのに。ケアプラン作成時の根拠などケアマネの見立てでと言われるのに、結局、主治医の一文には敵わない。なら、今ここで主治医へ連絡して、主治医の口から再度状況をお伝えいただきましょうか?と言いたい。「木曜に自費ベッドを入れた時点で、ケアマネが役所へ一報入れるべきだった。」というあくまで結果論。何度も言う、その時は担当ケアマネはいない。望まれないのに契約しろと?

 

末期がんの方の急変時のベッド類のレンタルについて、他に利用できる制度はあるのか?役所の担当者に尋ねるのもお門違いだが、もう口が止まらない。

 

「ないです。」

 

ですよね。てことは、急変しそれらが必要になった際には、自費で利用してくださいということか。医療保険の適用はない。介護保険では例外給付が認められることがあるが、申請に時間を要する。申請が通るだけでもありがたいことなのか。

 

そんな状況の利用者さんやご家族に、制度ですからと説明するのも申し訳ない。人の命の灯が消えかけようとしているときに。

 

同日水曜日、息子さんに状況を報告、お詫びのご連絡をした。「いいんですよ、あまりにも早かったからですね。すぐに動いてくれてありがたかったです」と息子さんの言葉をどう受け止めて良いのか、自分の詰めの甘さを反省しきりだった。

 

役所はルール以外のことはなしなのだろう。情状酌量もないのだろう。ただの書面での処理でしかないのだろう。もし、木曜の自費ベッドのことを黙っていたら、例外給付の許可が下りたかもしれない。正直に、事実を報告したことが仇になったのかもしれない。なら、多少のごまかしは許されるのか?書面で帳尻が合えば、役所的には問題ないのでしょう?そんな黒い気持ちも沸いてしまう。と同時に、ケアマネの立ち位置でしか物事を見ていないため、役所側に立ってみればまた気持ちも変わるかもしれないことも分かってはいる。おかしでしょ?と思うことはたくさんある。それは自分の尺度でおかしいでしょと思うだけで、ちっともおかしくないのかもしれないし、おかしいけどそれを変えられないだけかもしれない。

 

この状況を変えるには、自分が医者になるか、議員になるか、発言力を持つほかないのかもしれないと真剣に考えた1週間であった。

ガン末期自宅退院

個人情報を口外してはならないのは100も承知だ。ただ、抱えきれないことが増えている。ケアマネ個人では抱えきれない感情。個人を特定できない範囲で、自分の気持ちを落ち着かせるために綴りたい。なんとも自分勝手なことだとの認識もある上で。

 

40代前半の末期がんの男性。

 

幼稚園の息子さんと新小学一年生になる娘さん、そして男性の身体の半分ほどしかない華奢で愛嬌の良い可愛らしい奥さん。

 

訪問診療先からの依頼を受けた翌日、男性の自宅退院に合わせて、訪問看護福祉用具事業者さんと訪問した。皆、初対面である。

 

高台にある新築の自宅は、リビングの壁一面の大きな窓から、市街地が一望できた。窓一面が大きな絵画のようで、吸い込まれそうな感覚に陥る。そのリビングに自費レンタルされいたベッドが置かれ、男性は数個のクッションで体を支えベッドから窓の外の景色を眺めていた。1日見ても飽きないであろう壮大な景色だった。

 

今日から毎日、医療保険で介入する訪問看護。男性は在宅酸素に加え、腹部ポンプで持続的に医療用麻薬の投与が開始となり、24時間訪問体制の整備された薬剤師により麻薬の管理を受ける。

 

子供たちは、見知らぬ大人の訪問に驚いた様子もあったが、すぐに大事なぬいぐるみを見せてくれたりとほっとする空気感も漂う。

 

ただ、終始男性は背中を向けたまま、看護師の介入さえ拒否され、妻を中心に話が進んでゆく。ケアマネが支援する部分は、介護保険での福祉用具利用。現在、要介護1であり、ベッドや車いすのレンタルは不可。妻の希望で介護保険区分変更申請し、保険的な意味でも主治医へ意見を求め市へ例外給付の申請も合わせて行うこととした。高さ調整、背上げ、足上げができるベッド、立ち上がりができるよう介助バー、床ずれ予防のマットレス、トイレの手すり、車いすなどのレンタル、シャワーチェア、ポータブルトイレの購入。生活環境を整える。医療面は訪問診療、訪問看護、薬剤師が支援する。

 

その日、男性は妻へ何か飲みたいと注文し、妻は高台から歩いて川沿いのコンビニまで買いに走られた。

 

翌日、介護保険の認定調査員が訪問。ガン末期と報告しており、申請翌日に調査に来られるとは異例のスピード感。市も配慮してくれているようだった。男性はベッドに腰かけ調査員の質問にかすれた声で答えられる。午前中は体調が悪いようだったが、昨日は子供たちとシャワー浴ができたらしい。トイレまでも一人で歩いて行かれ、奥さんも驚かれていた。

 

翌々日、福祉用具利用を目的とした担当者会議開催。(そのまま市役所へ例外給付の申請に行き、事前相談していたこともあり受理され、ほっとする。)

 

昨夜、男性は痛みで寝ることができず、奥さんは一晩中、背中をさすって二人で朝を迎えた。朝、子供たちは近所の男性の実家に預け、つい先ほど、眠ったところだと、男性は椅子に腰かけ、ダイニングテーブルに両手を組み額をつけて寝ておられた。福祉用具事業者さんと、起こさぬように小声で話を勧めた。途中、訪問看護師さんが来られたが、今は寝かせてあげましょうと、再度訪問くださることに。数分後、薬剤師さんも来られ、事情を説明したが、薬剤師さんは薬を渡すだけですからと、寝ている男性のテーブルに薬のカゴを置き、妻に説明を始めた。案の定、男性は目覚めたようで、時折頭を動かされる。

 

皆帰宅したあと、奥さんの話を伺った。

 

男性のガンが分かってから自宅を新築されたと。なぜか?賃貸に住んでいたら、いつかはその部屋を出ていくことになり、家族で過ごした場所がなくなるから。男性はガンの診断があり、住宅ローンは組めない。奥さんは自分で65歳までのローンを組み、署名する際には手が震えたと。自宅は男性の実家の近くを選ばれた。笑顔で気丈にふるまわれる奥さんにかける言葉が見つからなかった。まして男性にかける言葉も見つからずなるべく音を立てないようにあいさつのみにとどめる。必要とされる支援に徹する。奥さんが話したいことを話してくださるよう、平常心を装いしばし同じ時を過ごした。

 

翌々日。明け方に、訪問看護師さんから緊急訪問したとの連絡を受ける。来週は娘さんの入学式。男性は酸素などが付いた姿での参加に抵抗があり、学校側がリモートでの参加を段取りしてくれたらしい。自宅の階段にかけられていた娘さんの真新しい制服が目に浮かんだ。学校の配慮にも心が温かくなる。

その日の昼過ぎ、訪問看護師さんから、つい先ほど亡くなられたと連絡を受ける。家族で見送ることができたと。

 

あまりにも急な知らせにたじろいだと同時に一刻でも早く、奥さんのもとに駆け付けたい衝動にかられた。とはいえ、ケアマネが駆け付けたからといって、何をすることもできないし、かえってご迷惑になることも分かっている。事業所から車で3分ほど。初めてご訪問してから4日目、高台にあるそのご自宅に向かった。小雨が降っており、眼鏡が曇る。自宅の前に到着し、ご迷惑ではなかろうかとしばらく悩んだが、玄関のチャイムを押していた。

 

奥さんは目を真っ赤にされながらも、しっかりとした表情でご挨拶くださった。「家に帰ってこれて良かったです」と。

セレモニー的な慣習

退職や移動の季節。

 

勤続19年、今までこの職場の慣習では、職員全員に声をかけ、希望者のみ(ほぼ全員になる)数百円出し合い、代表者がお花と記念品を購入、最後の出勤日終業時に退職者を囲って一言挨拶いただくというセレモニー的なことを行っていた。

 

コロナ禍も相まって、職員間の交流もなく知らない人が増える。公務員を退職され就任された施設長とも、ほとんど接点はなかった。また、久しぶりの退職者となる。

 

先輩らが事務長へセレモニー的なものをどうするか尋ねると今回は、施設の方から、「私は非常勤なので、一切そのようなことはしないでほしい」と話があったらしい。「私は立場上、何か渡そうと思いますが、されたい方は各自でされればいいのではないですか?」との返答だったらしい。

その答えが、「特に関わりもないため、意向通り何もしない。おそらく最終日もいつも通り定時に帰宅されるだろう」との結論となった。

 

最終日。

 

個々に、施設長室を訪れ品物を渡す職員もちらほら。午後、事務の女性を斜め後ろに従えて、滅多に来ることのない私共の部署に施設長が足を踏み入れられた。

 

「どうもお世話になりましたね」

 

そう一言発し、デスクを1周する施設長の後を追いかけ、女性が「施設長からです」と菓子箱から個包装のお菓子を1個ずつ職員のデスクに置いて去って行かれた。

 

あっけにとられた先輩と私は返す言葉もなく顔を見合わせた。

 

「これが公務員のやり方なのかな?何もしないでと言っておいて、お菓子を配るって、しかも自分でされるのではなく、事務の女性をお付きの人みたいに従えてさ。違和感しかないよね。」

 

 

施設長は、やはりその日も定刻に普段通りに帰宅されていた。

 

先輩らは、セレモニー的なことをしなかったことを後悔しているようだった。見送りもあいさつもなく、けじめがつかない状況に理解が追い付かないようにも感じた。各自で贈り物をするという初めてのケースも受け入れがたく、贈り物をしなかった者たちが暗に責められているような感覚もあるのだと思う。

悪しき習慣、バレンタインの際もそう。気持ちも何もないが声を掛けられ、お金を集められ、代表者がチョコレートを渡し、誰から送ったのか内訳を伝えているのか分からないが、ちゃんと集金された者、一人一人にお返しが来る。この職場に長く伝わるそんな空気。誰に責められるわけでもないが、セレモニー的なことを今まで通りにしなければという強迫観念。思い込み。みんなで、一緒に、一人だけ抜け駆けしたらだめよ、逆に気を遣うじゃない・・・と聞こえてくる。

 

お付きの女性にお菓子を配らせるその方法には違和感しかなかったが、今までの型にはめる必要もないと思う。第一、私は、施設長の退職に際し、何かしたいともお礼を言いたいとも、この日が最後の出勤日だとも頭になく、いつも通りに仕事をしていた。非情な人間かもしれない。

ただ、この日を最後に部署移動される先輩には感謝の気持ちが溢れており、同じ部署の方に相談し賛同を得て(無理やりではないと感じているが、相手が気を使って賛同せざる負えないと思っていたとしたらパワハラ認定か・・)ささやかなお別れ会をさせてもらった。相手のためでもあり、自分のためであったのかもしれない。

 

不適切にもほどがある

 

1話、1話が自分の実生活に問いかけてくる。皆各々、感じ方は違う。良かれと思っても、相手にはそうでないこともある。相手に気を使い過ぎて、無関心になる。近くなりすぎると強要につながる。一体どうすれば?どこかに正解があるのか?個人主義とは?

やりたい人はやる、やりたくない人はやらない。残業強要はいけない、でも残業をするなと働きたい人の権利を奪ってはいけない。相手がどうしたいのか?自分はどう思うのか?皆、一緒なら安心するのか?皆同じ事をすれば、それが正しいのか?皆って誰の事?

 

今まで特に意識もせずに繰り返されてきたセレモニー的なこと。それをどう感じるかは人各々。どう感じるのも自由。自由過ぎると、自分で考えることが負担になることもあるのか?自分はこれで良い!と言い切ることは案外難しいことなのか?周囲に合わせていれば楽ちんなのか?でも、その周囲も流動的なもので、入れ替わってゆくため、その時々で、正義も移ろってゆくのだろう。

 

結局、自分が周りにどう思われるのか?で行動している場合が多いような気がしてならない。自分も含めて。それが良い、悪いは分からない。そこを、自分軸に上手く変換してゆけば違和感も、ストレスも少しはなくなるように思う。

金銭管理

老後2千万円問題。お金の問題は切実だ。

 

在宅高齢者の介護サービスを調整することが居宅ケアマネの主な業務だと思っており、今まではご家族の協力もあり、そこまで深入りせずとも支援は成り立ってきたが、ここ最近は状況が変わってきている。

 

一人暮らしの認知症の方、障害の子と高齢で要介護認定を受けた親、8050問題、身寄りのない方、夫婦二人暮らしでも年金額が少ない、または無年金の方など、一括りにはでいない様々な人と各々の暮らしがある。

 

在宅生活の限界点も様々。個々の要因により異なり、在宅看取りを選択される場合もあるが、大抵の場合は、施設入所へ向かうことが多い。

在宅でも、施設入所でもお金が必要だ。

 

在宅生活を選択された方が、毎月にかかる料金は安価となる。施設に入所となると、収入により減額のある特養やケアハウスもあるが、それでも居室料や食費、介護サービス利用料は発生する。また、在宅・施設サービスともに介護保険のサービス料金体系は、加算項目も多く、また収入による減額はありがたいが審査が必要であり、ぱっと利用料金を算出することが難しい。収入により異なるし、事業所の加算により異なるし、利用回数によりパーセンテージで算出する加算料金が変動するため、きっちりといくらですと提示できない。サービス事業所も同様、大体これくらいですよの説明に留まる。やっかいな仕組みになっていると思っている。

 

スマホの料金体系も似たようなものを感じる。ショップに行ってタブレットに入力すれば、パパっと利用料金は分かるが、割引やらなんやらで分かりにくい。

生命保険などは、スマホで見積もりができて分かりやすい。

賃貸契約をする際の初期費用は、見積もりと異なる金額になることもある、あくまで見積もりということか。

 

金銭的虐待があると包括から申し送られたケースのご家族から、介護サービスの明細が分かりにくいので、サービス事業所ごとにまとめて提示してほしい、施設入所に際しての料金、雑費や生活費も含めてひと月に支払う料金を提示してほしい。本人にかかるお金を把握し、まとめて提示するのがケアマネの役目だろう。それは施設に尋ねろと言われても、一本化してもらわなければ家族は困る。ひと月にいくら母の口座に入れればよいか目途を立てたい。と要望があった。

 

ごもっともである。

 

介護サービスの料金は分かりにくい。が、収入や医療費の明細を施設に提出いただかなくては施設利用料も分からない。とりあえず、3パターンで計算し、介護サービス、施設料金、かかるであろう生活費を算出し資料を作成した。正直、しんどい作業である。ひと月にいくら電気代がかかるかなど正確な数値は出せない。各事業所から説明があるのだから、家族で計算してほしいとの思いもある。確かに、私が家族であれば、そこまでしてもらえれば、あとはお金を工面するだけだから見通しが立てやすいのでありがたいとも思う。今後は、家族の金銭管理まで支援させていただく機会が増えてゆくのだろうと思う。お金がなければサービス利用も施設入所もできないのだから。お金の問題に立ち入るのは憚られるが、月の収入がいくらなのか、支払いを差し引いて、毎月いくらまでなら介護サービスに充てられるのか、まださらっと聞き取りやすい最初の面談時に確認が必要だろう。ケアマネジメント料は本人負担はないが、介護サービス利用料は無料ではない。我々は相談には乗れるが、無料でサービスを提供はできない。ボランティアではない。

 

認知症で金銭管理が困難となる方も多い。多額の資産や複数の保険を持っていても把握できない。何千万も貯蓄のある通帳を見せてくださるが、正直、どの保険からいくら入金があるのか通帳だけでは分からない。保険証書もない状況では確認のしようもない。というか、ケアマネはそこまで立ち入ってよいのか?まさに成年後見制度の対象と思われるが、毎月の制度利用料に納得されず利用に結び付かない。

 

ここ最近は、お金の計算が主な業務になっている。必要なことだろうが、専門家でもなく、通常業務をしながらでもあり、しんどくもあり、責任も感じる。どうにかしなければ。

高齢者虐待ケース

虐待ケースですと、明言され引き継いだ。

 

「80代の母親に金銭的・身体的虐待、介護放棄をしている障害手帳保持の60代の息子」

 

事実のみ表記すると、人によって感じる印象が異なるのは仕方がない。だがこの親子に直接関わっていない行政の方々へ報告するには、文章で言語化して伝えることしかできない。面談時に感じた空気感や生活の様子、表情の変化やニュアンスなど肌で感じたことを伝えるのは容易ではない。また、上手く表現できたと思っても受け取り側の価値観の相違もあるため、こちらの思うように伝わったかは分からない。伝わったところで、その後の判断も異なる。

 

行政は長男を支援対象として会議を開催。行政の各担当部署から10名程、長男担当の包括3名、母親のサービス事業所からはヘルパーとデイサービス担当者、そして担当ケアマネの私。

 

資料に沿って情報共有が進む。この会議室に集まった十数名の中でこの親子と関わり面識があるのは、行政1名、包括1名、ヘルパー1名、デイ1名、そしてケアマネ1名の5名のみ。他の方々は資料を基に親子を想像して検討がすすんでゆく。

その資料は、この親子のほんの一部でしかない。しかも、記載者の主観で書かれており、記載者の親子への思い込みフィルターを通して表現されるため、そこに立ち会っていた私からすれば、少しニュアンスのズレも感じる。違和感でしかないが、書面で共有するしかないのだろう。

 

ヘルパーの男性に発言を求められた際、彼は待ってましたと言わんばかりに意気揚々と語りだした。(この表現には私の悪意が感じられるが、そう感じた)彼は、母親の額が赤くなっていることについて、長男にぶたれたと本人が言ったと表現した。即虐待と判断し、包括やこちらにも連絡を下さった経緯はある。もちろんそれはしかるべき対応だ。だが、その後の説明が、一方的に長男を加害者として仕立て上げたような内容だった。確かに、額が赤い事実はある。が、それまでに至る経緯、その時の本人の対応、長男からの聴取はないまま、彼の中では、長男が暴力をふるった。危険だ。長男は物言いが荒いが、僕はそういう人に好かれるので大丈夫。僕の事業所はどんな支援も断らない。と、かなり偏った考え方(私からすれば)をされ、着地点もずれているように感じて、首をひねってしまう。

 

おそらく、この中で私が一番この親子と関わっていた。(優位に立つつもりはない。ただ支援の関係上、複数回面談していた)虐待ケースですと、包括と同行し、担当者会議開催以降は、一人で訪問し、長男、本人と面談を繰り返していった。支援の相談をしたいときに土日祝日は行政は休みであり、事後報告になる。行政は虐待ケースなどペアで動くらしいが、居宅のケアマネはペアで動けるほど人員の余裕もない。

 

確かに長男の物言いは厳しい。本人の額を小突いたのも事実。長男も本人もそれを認めたていた。面談を繰り返し、長男の生活にも踏み込み過去の家族関係を紐解いてゆく。本人の言うことだけで動くのは危険だと感じていた。そのことで本人と長男の関係性が悪化する可能性が大いにあったから。長男を怒らせないように、しかしこちらが怯えている様子は見せないよう冗談を交えて笑いに変えながら、関係性を拗らせないように、慎重に、しかし手を挙げてしまった事実を確認してからは時間的な猶予はない。

 

途中経過を包括へ報告し、一度は行政と自宅訪問されたようだが状況確認のみ。本人からは長男の目を盗んで日に何度も電話が来るようになった。

 

面談を繰り返す間に、長男の気持ちも理解できた。やはり、家族には家族特有のルールや今までの経緯があり、この虐待という状況だけ見た他人がどうこう言える問題ではないと感じていた。このような状態になる原因は、本人にも大いにあるようであり本人も自覚していた。だが、虐待はしてはならないことであり、そうならないためにどうすればよいか、本人、長男と一緒に考え提案してゆく。

 

結果、お互いに施設入所に落ち着いた翌日にこの会議となり、今までの経緯を早口で説明することとなった。

 

おそらく、私は長男を擁護する立場から物を言っていたと感じる。虐待はあってはならないことで阻止せねばならないと重々承知だが、長男の思いを今までの親子関係を知り一方的に母親が被害者だとも思えなかった。(そんなことは口に出しては言えないが)また、それを裁くのは私の仕事ではないことも分かっている。未然に防ぐことが使命であることも。

 

母親が施設に入り身の安全を確保することが最優先。その後の長男の金銭的自立、就労支援などは行政がアウトリーチしていくとの結論。

 

結論に異論はないが、この親子のことをよく知らない他人が、まぁ行政の方々の使命かもしれないが、あーでもない、こーでもないと検討している場が空々しくもあり、滑稽でもあった。ただ、立場が違えば、色んな解釈があり、多職種で検討することの有意義さは十分に感じることができたが。

 

いや、どうなのだろう?核家族化が進み、結婚を選択しない単身者が増えてゆくこの先、各々家庭の問題を家庭で解決できずに、他人である行政が介入する必要性が高まってゆくのかもしれない。とはいえ、行政の方々は直接、対象者の自宅に訪問するわけではなく、包括が抽出した対象者宅に、居宅のケアマネが訪問し状況を報告する。(現にヤングケアラーなどの把握もケアマネにとの動きがある)実行部隊は居宅のケアマネなのかもしれない。行政は会議室で資料を基に会議を進めるが、居宅のケアマネは、この身一つで受動喫煙覚悟で対象者の自宅に出向き、訪問後に具合が悪くなることもある。排泄物で足の踏み場に困るお宅や、家の中に入れてもらえず数時間外で待たされることもある。一体、何やっているのだろうと思うこともあるが、自分の根底にある好奇心がまだ勝っており、もう少しこの仕事を続けてみようかと考えている。

 

自分も偏った考え方、偏見があることも再認識した。大多数の人間は、無意識にでも自分が正しいと思っているのかもしれない。立ち返ってみることは非常に重要だった。

大学休学したいんだけど。

君がこちらも予想だにしていなかったことを言い出した時、母はそのことについて調べることから始まる。

 

大学生になり、18歳で成人。もう、そのようなことはないだろうと思っていたのだが。。

 

1年間大学を休学してお金をためて、古着を販売したい。

 

親の許可が必要な年ではない。しいていえば、大学やマンションの保証人は私ではあるが、決定権は君にあると考えている。今までも君がしたいことは応援してきたし、母の静止を聴くような君ではないことも分かっている(私もそうだから)。しかし、やはり君のことが心配だ。失敗も勉強だろうし、自分も数えきれないほど失敗をして今があるが、君のこととなるとまた別なのだ。

 

40代後半の私からすると、休学とは良くないイメージ。今でさえ、サークルのバンドや深夜帯のバイトに没頭し、単位も十分に取得できていない現状がある(あえて口出しはしないよう努めている)。ストレートに卒業して就職するのがベストという考えだが、頭ごなしに否定したくはない。君なりにきっと何か考えはあるはず。未知のことを一から調べてインプットする作業はなかなかしんどいが、休学とはどういうことかを調べてみた。

 

そういえば、高校生の頃から起業したいとは言っていたっけ。君の頭の中ではビジョンがあるのかもしれないが、それを言葉にして伝えてくれないと、母の理解は追い付かない。第一、休学してまですることなの?なぜ、今?いつまでにいくら貯めて、どういうルートで仕入れて販売するの?そこに需要はあるのか?休学したら、保険とか、奨学金は?その間の生活費はどう考えている?家賃や光熱費、食費に医療費、収入と支出、生きるために毎月いくらかかるか分かっているのかい?

 

休学について検索すると、メリットの方が大きいようだった。

 

1年間という期間限定で、友人との共同作業になるらしいが、君なりに貯金額ややるべきことはぼんやりとだがあるようだし。大学の専門分野よりも、今は古着の販売の方に興味があるという中で、また1年過ごしてもきっと単位取得にはつながらないだろうし。ならば、区切りをつけて休学して、思う存分、自分のしたいことに挑戦すればよい。休学とはいえ、まだ大学に籍はあり、もし上手くゆかなくとも、大学生活に戻り卒業することはできる。やる気のないまま、だらだらと学生生活を続けるより、勝算は不明でも自分で決めた方向に進んでみるとよい。社会人になってから起業するよりリスクは少ないことも分かった。なにより、君がしたい!!ということを全力で応援するのが私の生き甲斐なのかもしれない。

 

それが、母の出した結論だ。

 

君にはいつも教えられることばかりだ。自分の硬い石頭をまた思い知らされた。君のおかげで、今を生きることができる。そして、代わり映えのない勤続19年の職場でも、自分を見失わずにいられる気がする。君が楽しそうにしているのが一番嬉しい。ある意味、君は私のライバルでもある。ヒス構文と揶揄されても、君に負けないよう私も自分の人生を紡いでいきたい。そうだな、いつか何かで起業してみるのも悪くないかもね。

燃やせないゴミの行方

庭先の樹を数本切り倒し、数週間おいてみたが、ゴミ袋に入るサイズにカットする元気はなく、自治体の清掃工場に持ち込むことにした。こういう時は、軽自動車でもワゴンタイプは助かる。

 

後部座席を倒しブルーシートを敷いて数十本の幹を積み込み、走ること40分。高台の住宅街を通り抜け、山道を抜け、大きな工場が立ち並ぶエリアに清掃工場はあった。

 

燃えるごみのレーンに入り、車ごと計量を受ける。以前にも、とある利用者さんのゴミ屋敷の片づけで出た100㎏を超えるゴミを持ち込んだことがあり、その要領は心得ていた。

 

「何を捨てられます?車の後ろの窓、開けてもらえますか?」

 

乗車したまま後ろの窓を開ける。

 

「あぁ、これ太さが10センチ超えてるから、燃やせないゴミですね。そこ出て右に曲がって、あっちの燃やせないゴミのレーンに行ってくださいね」

 

木って燃えるんじゃないの?と疑問符を浮かべつつ、指定された通り隣の敷地の燃やせないゴミレーンに向かった。

乗車したまま計量を受けるスタイルは同じだった。こちらから、燃やせないゴミへ行くよう指示を受けたことを伝える。

「市内の方?免許証を見せて。はい、これ持って、初めて?まっすぐ坂道を下ると、突き当りに係員がいるから。またこちらに戻ってきてね。」

 

免許証の確認もそこそこに、地図の書かれたクリアファイルを渡された。

 

突き当りってどこなんだ?進行方向に建物はなく、道路は途中で砂利道になり、丘の上でもあり周囲には何もない砂漠のような道なき道を、数メートルおきにある案内板を頼りに進むと、視線の先に二人の係員らしき方の姿が見えた。駐車場や目印はなく、バックでと手招きされ、バックミラーで係員の旗を頼りに停車した。

 

おそるおそる車を降り、トランクを開けた。

 

「あぁ、木ね。このまま捨てていいから」

 

係員の先は数メートルの崖のようになっており、その下にはいわゆる燃やせないゴミが散らばっており、ショベルカーのような建機が1台、作業をしていた。その崖の下めがけて係員が幹を投げ込む。しばし、あっけにとられてしまったが、軍手をはめて係員にならい、1個ずつ崖の下めがけて幹を放り込んだ。

 

この景色、よくテレビで見る発展途上国のゴミ捨て場みたい。

このような場所が日本にも、いやこんな近くにあるんだ・・。

 

確かに、燃やせないのだから埋め立てるしかない。リサイクルできないのだから、どうしようもない。でも、いつかはこの埋立地も一杯になってしまうだろうに、その時はどうするのだろう?ていうか、もし有害なゴミが混ざっていたら土壌に侵食し危険なのではないか?ていうか、やっぱ幹は燃えるでしょうに、いや、幹こそ埋め立てられれば分解されて土に戻るから良いのか?ていうか、こんな原始的な処理方法なんだ・・

駅から数十分のところに、こんな砂漠のようなゴミの山があるなんて。

普段、当たり前のようにゴミを捨てているけれど、その行く末はここなんだ。ゴミステーションに持っていけば家からゴミはなくなるけど、世界からごみが無くなるわけじゃない。同じ地球にあり続ける。そうか、だからSDGSなのか?ゴミにならないに越したことはない、ゴミは減らした方が良い、ゴミはなくなればもっと良い。なくすことが難しければ資源にすれば、再利用できれば良いってこと?

 

都合の悪いことは見ない、臭いものには蓋をする、そんな自分に気づかされた。崖に幹投げ込む、その下に広がる燃やせないゴミの山、その光景は衝撃的だった。