ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

女神降臨からの渡韓

最後にブログ更新してから今日まで、私の生活は女神降臨に9割方占められていた。

 

47歳になったって、高校生のラブコメにときめいてもいいじゃないか。

 

女神降臨のロケ地に行ってみたい。

 

最近、時折胸痛もあるし、ここ数年は関節痛にも悩まされている。ロケ地の韓国に行くのなら、まだ体が動くうちに、1日でも早く行った方が良い。お金もかかることだが、行けない言い訳を探すよりも、行くための手段を考えたい。いつか、誰かが言っていたようにYOUTUBEを先生代わりに、韓国旅行のための情報を集めた。海外旅行なんて20年以上行っていないから、不安もあった。でも、いつか誰かが言っていた、楽しんだもん勝ち。

 

そして、高校生の娘と2泊3日の韓国旅行を決行した。

 

とにかく、今はスマホがあればどこへだって行けることを実感した。

現地ではesimでスマホ操作ができるし、地図や翻訳のアプリを使い、地下鉄の乗り換えも迷わず、WOWパスで乗車できる。日本より便利かも。観光地のカフェなどはタッチパネルで電子決済、ネットで美味しそうな店を探すこともできる。屋台や市場は一部現金も必要だが、コンビニも土産店もカードやWOWパスで決済。AREXも日本で予約、決済できるし、便利すぎる。さすが韓国キャッシュレス社会。

 

事前にYOUTUBEや地図アプリで現地の映像を見ながら、バーチャルでの韓国旅行を何度も繰り返し、初めての場所でも迷わずに目的地にたどり着くことができた。20年での進化を身をもって感じる。

 

この調子だと、自宅にいながら行きたい場所の情報を集めて、バーチャル海外旅行なんでことも容易にできそうだ。

 

時間が足りずに行きたい場所全てを回ることはできなかったが、近いうちにまた行きたいと考えている。私にとっては、大きな挑戦だった韓国旅行。韓国語は話せないが何とかなるものだ。

 

旅行を決行するまでは、時間を見つけて情報収集しワクワクしていたわけだが、帰国後は、またいつもの日常が始まった。仕事では嫌なこともあるし、またいつ旅行に行けるかは分からない中、相変わらず韓国ドラマを見る日々。

 

インプットばかりの生活となり、自分の気持ちを吐き出せないからか、鬱々とするようになっていた。このモヤモヤの正体は何なのか?アプリで韓国語を勉強しながら考えた。やはり、アウトプットも必要だということか、このブログを綴るように。

 

1年前には考えもしなかった海外旅行を決行できた。

また1年後には今では想像もつかないことになっているかもしれない。

どうか、良い変化であってほしいと願う。

女神降臨

2020 年に放送された韓国のテレビドラマ

メイクで変身する女神とイケメン男子二人が繰り広げる三角関係ラブコメディ

U-NEXTで独占配信中

 

ということはあとで知った。

 

JK娘の推薦で何気なく第一話を見て、どはまりしてしまった「女神降臨」

続きはまた来週ではなく配信だと一気見ができるため、ここ1週間毎日就寝時間を過ぎても見続け、何度か見返し、体力的にしんどくなったが、心は満たされたようだった。

 

もちろん、自分も気持ちはイム・ジュギョン、高校生の気分になり純粋な恋愛にドキドキしてしまう。一方、なかなか進展しないじれったさに耐えることができず、胸が苦しくなり、つい最終回から先に見てしまった。。。

 

国民性の違いなのか、韓国の感覚も垣間見えて面白い。とにかく純粋な展開で、じれったい。

第一、イ・スホがカッコよすぎる。顔が、顔が、、、非の付け所もないほど整っている。顔つきは幼さも残るが、それもまた良い。これぞ国宝級イケメンだと私は思う。役柄もあるのかもしれないが、その立ち居振る舞いや、しぐさ、声からしてすべて素敵なのだ。やさしすぎる、頭も良いし、頼りがいがある、守ってくれるし。ドラマの設定だと分かってはいる。

どう素敵かって、恋愛対象にしたいとかではなく、美しすぎてずっと見ていたい。実際にどうこうではなく、画面の向こうで構わない、観ていたい。

このドラマの設定が面白くて、よくできているからであり、俳優チャ・ウヌではなく、イ・スホがカッコいいのか?

 

そうなると、ハン・ソジュンもカッコいい。どちらか選べなんて、できそうにない。どちらもタイプが違い、各々素敵ではないか。私には選べない。誰にも選べとは言われていないが、数日悩んでしまった。

 

イ・スホのやさしさを感じることで、自分も自分に優しくなれる。ドラマの中の話なのに、現実を生きている自分にこんなにも影響を与えるなんて。20歳も年下のイ・スホにこんなにもときめくなんて。自分でも可笑しいが、このドラマに出会ってから、毎日が少しハッピーになったのは確か。

 

推し活ができる人たちを羨ましいと思っていたが、もしかしてこんな気持ちなのか?鑑賞しているだけで幸せになれるってすごい。

 

ただ一つ、自分に残念だったことがある。最終話、二人が車に乗っている場面。なんだか急に現実に引き戻されたようで、大人になってしまったら、この恋愛のドキドキはなくなってしまう気がした。

 

一生のうちで経ていくライフステージ、いわゆる青年期、結婚して子供を産み育てるまでの間の時期が人生で一番恋愛に夢中になれるのではないかと思う。あなたしか見えない、それでよい。一種の自己暗示、恋の病、打算ではなく好きな気持ちが止まらない、それでよい。

 

中年期になった私は、そのドキドキの気持ちは理解できるが同時に、冷めた自分も感じていた。諦めがよくなったというか、面倒くさがりになったというか。大人になったといえるのだろうか?

 

とにかく、こんなにも人の気持ちを動かすことができるなんて、ドラマってすごい。もとは、漫画だったらしいが。子育ても終わりが見えてきた、超現実を生きている私にも楽しみができた。

 

早速、チャ・ウヌのインスタをフォローしてしまった。ファン・インヨブも。

いつの間にかお局

気が付けばお局といわれる年代に突入した。とはいえ、発言力があるわけではなく、定時に帰宅することが唯一の目標であることに変わりはない。コロナ禍も相まって、職場の人間関係に深入りすることはなく、あの人、いつも一人だけどそういう人だからねという印象を醸し出してやり過ごしてきたのだが・・。

 

何の代わり映えもないと飽き飽きすることもあるが、確実に周囲の人間は入れ替わっている。自分は変わらないつもりでも、周囲の人間模様は変化している。変わらないためには、変わり続けなければならないとはよく言ったものだ。

 

10歳下の女性と机を並べることとなった。

 

 

こちらは無意識にでも、パワハラになってはいけないと、言動に注意を払う。ことあるごとに「やさしいぃ~」と言われ、何がやさしいのか分からないまま、彼女に負担をかけないように接してきた。つもり。

 

過去にもそれくらい年下の方々と仕事をしてきたことはある。が、猫も杓子も〇〇ハラスメントと言われる今、できればそのような相手と関わりを持ちたくないというのが正直な気持ち。誰がどう見たって、お局といわれる年代の私がハラスメントをしていると思われるに違いない。

 

第一、10歳違えば価値観も違い、分かり合える気がしない。彼女にもそれは分かってほしい。どちらか一方に問題があるわけでなく、お互いなのだと思うのだが。

 

仕事が上手くゆかずに落ち込むことはある。彼女は話をする間に泣き出してしまった。思うように行かないことへの悔し涙なのだと思う。涙が出るほど一生懸命なことは分かるが、泣いてしまったら、次のステップに進めない。休憩から戻ってきた男性には、私が泣かせてしまったと思われたかもしれない。まぁ、仕方がない。面倒なので弁解もしたくない。

 

差し入れをすると、過剰に喜んでくれ、何度も感謝の言葉を述べてくれる。もうそこまで言われると、わざとらしく感じてしまうほど。ありがとうございますというフレーズに使い過ぎはないと思っていたが、こう連呼されると不快に思うものだと初めて感じた。

 

分かっている。彼女に悪気はない。素直に言葉にしてくれているだけだということも。

 

何が起ころうと、こちらがハラスメントまがいのことをしていると認定される。しかし、こちらもハラスメントを受けているような気がしてならない。だから、極力関わらないように、関わって相手を不快にさせないようにと距離を取るのも、仕事を与えない、指導をしないというハラスメントになるのだろう。では、どうすれば?なぜ、一方的に年上の者がハラスメント加害者にされるのか?

 

悶々とした気持ちを抑え、彼女のペースに合わせてきたつもりだったが、自分が苦しくなってきた。本当に申し訳ない。私が男性なら、彼女の言動をかわいいねと許容できたのかもしれないが、残念ながら私はアラフィフ、就職氷河期からワンオペ育児を経て仕事があるだけでもありがたいという環境を生きてきたお局。かわいいねという感覚が持てない。

この気持ちを悟られてはならない。彼女を理解できれば、かわいいと思える日が来るかもしれない。かわいいと思う必要があるのかは疑問が残るが。でも、このままでは自分が壊れてしまいそうだった。

 

そこで出た私の答えが、無反応でも良いということだった。

 

いつものごとく、何かかしら私にはよく分からないことを言われて、スルーしてしまったのだが、それが彼女にも私にも良い折衷案だったようだ。

 

無理に話を合わせて彼女を傷つけないようにすると、こちらがすり減るので、いちいち反応せずに、反応の必要がない際はスルーすることにした。必要な話は普段からしているのだから、許してほしい。怒っているわけではなく、私も自分を守っているのだ。

 

知らず知らずに抑え込んできたのかもしれない。決めつけてきたのかもしれない。

彼女に限らず、自分は変わらないつもりでも、関わる相手は変化しているのだから、対応を変えてゆくほうがストレスなく過ごせると感じている。相手に慣れるまでには時間がかかる。

 

我慢しすぎも、好き勝手しすぎもよくない。

 

皆、自分が主人公の人生だ。

JK娘初めてのバイトに向けて

高校2年生になる娘。

夏休みのみアルバイトをしたい!と意気込み、近所のコンビニへ応募するが長期の募集に加え、学校の証明書がいるらしく断念。

次は、某ファストフード店の面接を控えている。

 

自分の経験談を語るのは控えるようにしているが、如何せん娘のこととなると気になって仕方がない。

 

まず、バイトの探し方について。

ネット検索やアプリから応募できるらしい。後日電話やメールで面接日程の返答があったり、チャットだったり。店頭にもバイト募集の貼り紙はあるが、アプリ経由で自情報やシフト希望など送信したほうが雇う側もある程度スクリーニングでき、話が早いのかもしれない。

 

私が高校生の頃は、店の軒先に吊るされた「バイト募集」を頼りに、直接店主を訪ねたり、求人誌で探して電話でアポを取ったりするものだったが。何とも便利になったものだ。

 

証明写真について。

面接日程が決まり、人生初の履歴書を作成するために証明写真を撮りに行った。撮影料金は1,000円也。シミ消しなど補正が必要なら1,100円、データも必要なら1,500円。

そんなに高かったっけ?マイナカードの申請もできるから機材投資で値上げになったのか?

 

私が最後に証明写真を撮ったのはいつだっけ?その間にこんなに値上がりしていたとは・・・。1千円札は音もたてずに吸い込まれていった。娘のバイトのためだ。仕方がない。

 

バイト代。

こんな地方都市における高校生バイトでも900円いただけるらしい。

私が24時間営業某ファストフード店でバイトしていた頃は、580円くらいだったように記憶している。最後のバイトから25年以上は経っている。今の職場は19年目。その間に時給を意識することもなく、ただ淡々と仕事をしてきたために、賃金アップに気が付かずにいた。物価高騰が叫ばれる中、賃金もわずかながらにでも上昇していたのだろう。

 

毎日の積み重ねで今生きていると思っていたが、浦島太郎のようだ。自分の周りの狭い世界のことしか知らずに、世の中の変化は凄まじいのに、取り残されたような気持ちになった。

 

娘のバイトしたい!を通して、気づかされることが沢山あった。まだ、これからもあるのだと思う。できることなら、私もバイトをしてみたい。今ではなくとも、いつかまたチャレンジしようとは思っている。

 

辻元議員が、蓮舫氏の選挙について、「政党としても私個人としても、やっぱりもう古くなったのかな、もう通用せんへんのかなとか、ちょっと思った」「そう言うてはられへんわと言って、またここに立っている。私たち自身がどうアップデートできるかということが問われている」との発言が報道されていたが、今の私に染みる言葉だった。

 

自分の若い頃と比較してはならない。固執してもならない。時代の流れに合わせて変化したほうが、本来の自分を取り戻せるような気がしている。こんなに凝り固まっていなかった自分を。

 

証明写真撮影のために、普段はしないメイクをし鼻筋にハイライトが通った娘の顔を見て、もう1人の女性として歩き出している頼もしさを感じると同時に、子ども扱いはやめて各々の人生を歩いていく時がきたと感じるのだった。

洗面化粧台交換への道のり

20年以上利用している洗面化粧台の洗面ボウルのひびが日増しに広範囲になり、下の収納扉を開けて見るとボウルの下部までひびが入っていた。水漏れすると床まで傷んでしまうらしく、いよいよ交換の時期か。

 

インスタで流れてくる洗面台リフォームでは、手製の台の上に洗面ボウルを設置し、シックな柄に張り替えた壁に鏡を貼り付け、洒落た電球を壁付けしている方がおり、あんな風にできたらなと思っていた。

 

しかし、低コストで押さえたい。この家にいつまで住むのかも分からないし、この先どうなるのかも見通せない。とにかく水漏れせずに、最低限洗面ができれば良い。

 

人生で、洗面化粧台を交換するのは初であり、何からどう手を付けて良いものか・・。

 

とりあえず、洗面化粧台をネットで検索。自分で交換できないか、youtubeDIY動画を検索してみる。

洗面台の配管部分に工具を使って丸く穴をあける必要があるらしく、さすがにこのためだけに工具を購入する気にはならない。配管の仕組みは分かったが、上の鏡部分の電気の配線がどうなっているのか、外してみなければ分からず、電気工事の免許不所持の状態で感電などしたら元も子もない。第一、陶器製の洗面ボウルを移動したり、大きな鏡部分を壁付けするのは、やり方は頭で分かっていても、47歳になった今の私の体力では不可能だ。

 

かれこれ1週間以上、洗面化粧台のことばかり考えていた。自分で設置することも諦めきれず、近所のホームセンターへ商品を見に行った。

 

安価なものだとセットで5万程。そこで、驚きだったのが洗面ボウルがプラスチック製のものがほとんどであったこと。価格は陶器製より少しお安い。この20年の間に洗面化粧台も進化していたとは・・。他のお店も見てみたい。

 

少し遠くの家電量販店へ向かった。そこにはアドバイザーの女性がおり相談してみる。リフォーム扱いになるらしく、設置込の価格設定で最安値は税込み8万2千円程。洗面ボウルについては、プラスチックではなく人工大理石というものらしい。陶器より軽く掃除がしやすいが、ゴシゴシこすれない。割れる確率は陶器と変わらないらしい。

 

最期に某メーカーのショールームに飛び込む。予約なしにもかかわらず、店内の案内図をいただき、テーマパークを回るように見学。途中、係の女性がついて下さり商品説明を受ける。例のインスタのような洗面台リフォームをその場でささっとタブレットで試算され51万との回答。メーカーから直接購入はできず、業者を通すか、メーカーの紹介してくれた業者へ依頼が必要らしい。

 

同時に以前、トイレの水漏れでお世話になったネットで依頼した水道工事店に見積もりを依頼しており、19万程との回答。洗面化粧台本体は定価、工事費は大幅に割引してくれていたが。

 

お金さえ出せば、リフォーム業者に依頼して洗面化粧台を取り付けてもらうことは、何の手間もない。

 

洗面化粧台を買っても自分で取付できないから、購入先と設置業者の二者に依頼することになる。エアコンの取り付けと一緒だと、気が付いた。というか、その仕組みを知らなかったので、納得した。

 

これって、介護保険制度利用にも共通したものがある。直接、デイサービス事業所に行っても利用はできない。(まずは要介護または支援の認定を受けて)居宅サービス計画を作成してくれる包括または居宅介護支援事業所を通さなければならない。初めての方にはとても分かりづらいだろう。契約も各々とする必要があり、トータルコーディネイトとはいかない。

 

これって、病院受診とも似ている。風邪を引いたくらいなら近所の内科で診てくれるが、脳神経外科に通っている認知症の方が、精神病を疑われたら、精神科を受診するよう勧められる。ある程度、自分でどこが悪いと目星をつけて、その科の病院を受診する必要がある。かかりつけ医やかかりつけ薬局も普及しつつあるが、トータルコーディネイトとはいかない。

 

洗面化粧台の交換も、電話一つですべて手配してくれる信頼できる人がいればありがたいのに。しかも低価格で。いや、自分で交換できれば一番なのに。知識と体力が伴わないばかりに。

熱い日中にファンのついた上着を着て真っ黒に日焼けした職人さんたちを見ると敬礼したくなる。あなた方のおかげで、住まわせていただいていますと。

 

結局、介護保険の住宅改修でお世話になった方へ水道屋さんを紹介してもらい、ネットで購入した洗面化粧台の交換工事のみ2万5千円程でお願いできることになった。

長いこと洗面化粧台のことばかり考えていたので、早くピリオドを打ちたかった。寝ぼけてネットの注文ボタンを押してしまい、1千円オフのクーポンを使い忘れたことは心残りだが、やっとここまでたどり着いた。

 

配達指定日に必ず在宅してください、時間指定はできず、不在の場合は持ち帰り料金が発生、置き配はできませんと注意事項満載の洗面台の到着を待っている。

加齢

左の奥歯が欠けていたことに全く気付かなかった。歯科の定期メンテナンスで発覚。痛みも沁みることもないため、次回までのかみ合わせを確認後、被せ物をするのかどうするのか決めましょうということになった。

 

数日後、ガリっと右の奥で固いものを感じ、慌てて何か確かめようとしたが、ガリっとしたものは見つからなかった。

 

前倒しで歯科受診すると、右上の奥歯の詰め物がかけていたらしく、応急的に左奥歯と右奥歯の詰め物をしてもらった。治療費200円。メンテナンス料金は1回4~5千円。治療してもらっている感がないのに高いなと感じていたが、メンテナンスの重要性を感じる。

 

歯医者とは、虫歯がある時にだけお世話になるものとの認識だった・・・。

 

歯科医師によると、加齢や食いしばりで歯茎が下がったり、かみ合わせが変わったりすることで、歯に負荷がかかり、ひび割れ、そこから虫歯になることが多いという。

子供の虫歯と大人の虫歯は原因が違うようだった。

虫歯にだけ気を付けて歯磨きに勤しんでいたが、加齢や無意識な食いしばりが原因ときたら、なす術なしか。。下がってしまった歯茎は、もう元には戻らない。

 

加齢。

 

今までのように思うように体が動かなくなり、足を上げているつもりでも、何もないところでさえ躓くことが増える。まさに加齢を実感する毎日。体の不調も、ま、歳だからなぁで受け流せるようにはなったが、一口に加齢と言われても納得できず、診断や治療を望まれる方もおられる。

 

90歳が近い女性は、転倒による骨折にて手術をされ、自宅退院された。1日中、椅子に腰かけて過ごされ足の浮腫みが顕著。痛みもある。息子さんとかかりつけ医に相談に行くと、手術した先の病院へ行くように言われた。手術した先の病院へ行くと、特に原因も治療も、療養上の助言もなく、「歳だから」の一言で痛み止めが追加処方された。女性も息子さんも納得いかないご様子だった。

 

女性は心疾患もある。物理的にも座って過ごすことが多く、筋肉量も減っているだろう。様々な要因が重なって足の浮腫みという症状があらわれているのだろうが、その一つ一つを検査して原因を追究するには、女性の体力の問題もあるし、原因が分かったところで対症療法しかないのかもしれない。ならば、余計な検査はせず、負担の少ない痛み止めの処方となったのかもしれない。

 

様々な要因が重なる一つに加齢があると考えている。「歳だから」である。便利な言葉であるが、まさにその通り。「歳だから」今までの生活習慣の積み重ねや持病の兼ね合いで新たな症状が現れる。

 

でも女性は、なぜ足が浮腫んでいるのか原因を知りたかった。そして、治療してほしいと病院を受診されたのだと思う。

 

治療については、考えさせられることが多い。

 

治療ができないことも、治療法がないことも、治療の必要がないこともある。治療することで他のところに不具合が生じたり、経過観察が一番の治療ということも。一体人は、何歳まで治療が有効なのだろうかと思うこともある。治療して治癒するのならば、人は永遠に生きられるのではないだろうか?歳を重ねてしだいに細胞の再生能力も失われるのが自然の摂理だと思う。それが加齢ということかと。

 

とすると、「歳だから」も一つの診断なのではないか。ただ、このような経緯があってこの症状が現れていると思われ、治療の必要はなく、痛み止めで様子をみましょうと患者にも分かりやすく、納得のいく説明をしたいただけたらありがたい。加齢と分かっていても、自分の身体のことなので、今どういう状況なのか知りたいと思うのは当たり前。症状は改善しなくとも、知ることで安心できることもある。

 

もちろん、検査して治療をして治癒できるのならば、それが一番よい。

割れたスイカ

晴れた日の正午ごろだった。

 

母の所要に付き添い車で帰宅する際、自宅手前の畑の道端に軽トラックが停まっていた。その畑の持ち主の自宅は、この辺りではないらしく、軽トラックで畑仕事に来ていることはなんとなく知っていたが、どこのどなたかなのかは知らない。

 

自宅に車を停めた後、母が数十メートル先の通り過ぎた畑を気にしていた。

 

「あのおじさん、具合が悪いんじゃない?軽トラの横にしゃがんだままだもの。ちょっと見に行ったら?」

 

見ると、確かにしゃがみ込んだまま荷台に片手をかけて、うなだれておられる。ちょっと休憩しているだけではないか?逆にこちらが怪しまれるのでは?と少し躊躇もしたが、気温がぐんぐん上昇している中、熱中症かもしれない。

 

畑までの直線を小走りで向かい、声をかけた。

 

聞くと、男性は以前から腰が悪く、たまに動けなくなるらしい。こうしてしばらく休んでいると、また動けるようになるという。車の運転も大丈夫とのこと。思いのほか、こちらを不審がることもなく、色々と話をしてくださった。軽トラの荷台と男性の足元のバケツには小ぶりのスイカが数個収穫されていた。

 

「こうやって声をかけてくれて、とても嬉しかった。ありがとう。良かったら、このスイカを持っていって。割れているけど、とてもおいしいんだ。切ってから冷蔵庫に入れるとよいよ」

 

せっかく収穫されたものを申し訳ない、何もしていないのにと遠慮させていただいたが、「嬉しかったから、ほらどうぞ」と勧められ、では遠慮なくと荷台から割れたスイカを一ついただくことにした。

 

何かの昔話のような気分だった。

 

いただいたスイカは、言われた通りに切ってから冷蔵庫へ保管した。割れるほど熟れていてとても甘かった。様子を見に行くように仕向けた母は、「ああよかったね」と一言。スイカが相当美味しかったらしく、すぐに無くなってしまった。

 

ほっこりとした1日だった。