ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

決別そしてこれからのこと

別居して8年近く経過しようとしていた

完全に別れましょうと告げ

携帯の名義とETCカード、息子名義のキャッシュカード

の返却を求めていたが

案の定

何の音沙汰もない

 

正月

Aに許可を取り付け

Aの実家へ行き元義母に子供たちを会わせた

毎年のように普通にお年玉をくれるし

子供たちも

それ目当てでもあった

 

やはり

このままでは前へは進めない・・・

 

Aも私も再婚するあてなどなく

離婚してから出産したこともあり

別れたといえども

私も普通にAの実家を訪ねていた

 

やっぱりこれは良くない

 

どこかで縁を切らなければ

完全に別れてしまわなければ

Aにも変な期待を持たせてはいけない

私は何もできないのだから

子供たちとも会えなくすることは・・

と躊躇もあったが

そうも言っていられない

 

後日

1人で元義母宅を訪ねた

 

携帯の名義のことを話し

元義母に変更させてもらうか

解約するか・・・

 

「もう50にもなって、何をしているんだろうね

 〇〇ちゃんは悪くないよ

 嫁さんのことを悪く言ったらいけないよね」

 

自分の息子のことなのに

悪く言うようで気が引けたが

できるだけ冷静に事実を伝えた。

 

そして

当の昔に私は嫁さんではないことも

だから

何を言われても構いはしないことも

 

無事名義変更を済ませると

一緒にラーメンを食べに行こう

と誘われる

気が引けたが

これが最後だと思い付き添った

 

元義母は毎晩アルコールを飲み

体は小さいく

小食である

 

外食に行くたびに

Aから怒られていた

「食べきれないのに頼むな」

ごもっとも

 

この日も

ラーメンを頼んだ元義母は

数口すすると箸をおいた

気分的なものなんだろう

1人暮らしで

外食も久しぶりだという

何も言う気にもなれず

ただただ

か細くすするラーメンの音を聞きながら

冷ややっこを食べた

 

家まで送り車のドアを開け道路に出た

 

今までありがとう

もうここへも来ることはしません

Aのためにもその方がよいから

何の力にもなれません

ただ

孫に会いたいときには

息子に電話をくれれば

会いに行かせます

お世話になりました

 

自分でも驚くほど淡々と言葉が出てきて

深く頭を下げていた

 

そんなことを言うと泣きたくなるがね

 

元義母とも色々あった

でももうそんなことはどうでもよい

 

けじめをつけられたようで

すっきしして帰路に就いた

 

もうこの町にも

この家にも

来ることはないだろう

 

子供たちには祖母でも

私にはもう他人

泣きつかれても

何もしてあげられない

 

これで良い

 

ここにたどり着くまでに随分と時間を要した

 

きっぱりと縁を切るのも

大した苦労だった

 

Aへは今月中にカードの返却を依頼し

返却がなければ解約することを伝え

ブロックした

 

これで良い

 

どんなに冷たい女だと卑下されても

構いはしない

 

何かにつけて脅されてきたことに

今更ながら気づく

 

何を言われたって

もう関係ない

 

過去を少しずつ清算

前に向かって進んでいくしかない

 

それは

終活にもにた行為であった