satoimo's diary

人生も折り返し地点を過ぎた。自分を大切にするためには...

パオ

私にも女子短大生時代があった・・。

 

当時から人付き合いが得意な方ではなかったが、実習の班で一緒に過ごした4人とは、打合せも兼ねて、頻回に集まっては群れて過ごした。

 

地方から出てきて1人暮らしをしている者の家に集まることが多く、材料を持ち寄ってお好み焼きパーティーをしたり、思い立ったらそのままレンタカーを借りてブドウ狩りへ行ったり、誰かが失恋したら即、夜中のファストフード店に集合した。

 

ポケベルからPHSそして携帯に移行する時期で、どうやって連絡を取っていたのかは忘れてしまったが、箸が転ぶだけで笑ってしまう状態で、何をしていても楽しかった。

夜通しバイトをし、授業中にも今夜の予定を考える。単位は落とさない様に最低限の点数さえキープしていれば、基本自由。どうにでもできると思っていたし、別段、不安もなく、やりたい放題だった。(いや、その時の不安など忘れてしまっただけかもしれない)

 

とりわけ集合拠点率が高かったのはT恵宅だった。

 

人懐っこい彼女には、人を寄せ付ける魅力があり、当時流行していたワッフルパーマのロングヘアが印象的だった。

 

その彼女が乗っていた車が「パオ」。

 

それは、移動手段だけでなく、車自体が雑貨屋さんのような、何だかオシャンティーな感じで楽しいことが待っているようで、ワクワクしたものだった。

今でいうスズキのハスラーのようなものだろうか。

 

遊び心満載だった。

 

彼女の「パオ」で、どこへでも行った。皆が集まるだけで楽しいのに、車中で肩を寄せ合うと、その楽しさは倍増した。

 

戻りたいとは思わないが、当時をふと思い出す瞬間は懐かしさと同時に、変わってしまった自分を痛感する。

自分の変人ぶりが周囲にバレないように、母親としての役割を果たすために、社会からはみ出さないように、それなりの洋服や常識的なふるまいを心がけ、当たり障りのない会話でやり過ごし、本音など漏らすことも忘れて、淡々と仕事をこなし、世間に同化していく日々。

 

当時は、就職氷河期で一度レールを外れると、二度とチャンスはない。経験もないため、社会は受け入れてくれずフリーターを選ぶ者もいた。

古着が好きだったため、母親から「頼むから新品の服を買って」とお金を渡され、評判が良いと聞いた美容院をはしごし、バイト経験だけが積み重なっていく日々。好きな時に好きな所へ出かける。思い立ったら即行動しても何も咎めるものはない。楽しいことや面白いことばかり求めて過ごしていた。

 

街中で「パオ」を見かけることはなくなったが、今話題の「うっせぇわ」を耳にするとその頃を思い出す。

 

見た目には分からずとも

私のコアな部分には

まだあの頃の感情が

残っているようだ・・。

 

かもね♬