ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

「ヤンキー」

取引業者さんに珍しい苗字の方がいらっしゃる。その方の顔を見るたびに、中学時代のいわゆる「ヤンキー」な彼女を思い出していた。

 

「ヤンキー」もはや死語なのかもしれないが。

 

二つの小学校区からなる市街地の外れの中学校に通っていた。入学後間もなく、制服も新たに少し大人に近づいた勢いもあり、「ヤンキー」の集団が結成されたようだった。

 

私が勝手に妄想する「ヤンキー」の定義は、女子は制服のスカートは踵すれすれ、くるぶしが見える短い靴下に、もちろんキンキンの金髪。セーラー服は短めだ。男子は、眉毛はちょんって感じで整えて、リーゼントっぽくセット、制服のズボンは足首はキュッとしまっているが、大腿部部分は風になびくと飛んでいきそうなほどのぶかぶか具合、学ランは短めでカバンはぺしゃんこといった感じだろうか。あと、インナーは赤のTシャツ。

 

おそらく、我々よりもう少し上の世代の方々が「ヤンキー」全盛期だったのだと思う。校舎の窓ガラスを金属バッドで割りまくり、他校に力試しに行くみたいなことがあったと聞いていた。

 

「ヤンキー」は男女ペアの数名のグループで活動していたのを覚えている。授業中にいなくなったり、渡り廊下の暗がりにたむろしたり、トイレや体育館の裏、部室などでの喫煙やボヤ騒ぎ。通学時間帯を狙って、通学路に集団で現れた。特に危害を与えられることはなく、悪ふざけばかりしていたようで、楽しそうにもみえた。何かあると、すぐに彼らのせいになってしまう。

 

当時、ごく一般的な中学生だった私は、できるだけ関わらないようにし、もちろん彼らのほうからも絡まれることもなく、遠巻きに見守って3年間を過ごした。

 

テレクラ(懐かしい)、不純異性交遊、喫煙、飲酒、シンナー、深夜徘徊・・・

 

分かりやすい非行の数々。

 

その彼女は、とてもきれいな顔立ちで、ひときわ長いスカートを引きづって歩いていた。もちろん、私とは言葉を交わすこともなかった。言葉を交わしたところで、あまりにも違いすぎる。でも、今なら、少し話を聞いてみたい。何を考えて、何を生きがいに、何に喜びを感じて日常を過ごしていたのか。そして何に反抗していたのか。もう、母親になっている年頃、ひょっとしたら孫がいてもおかしくはない。このコロナウィルス禍の中で、ちゃんとルールを守って外出自粛しているのだろうか?もし、当時、今のようにステイホームなんて要請されていたら、彼らはステイホームできただろうか?

 

「マイルドヤンキー」という言葉を聞いたことがある。

 

Wikipediaによると

「従来のヤンキー程の攻撃性、違法性はなく、マイルドの名が示す通り本来の不良にもなりきれない層のことで、マーケティングアナリスト・原田曜平が2014年1月に定義した概念。地元志向が強く、内向的、上昇志向が低い、などの特徴がみられる。」

とある。

 

彼女も「マイルドヤンキー」に進化しただろうか。

 

中学を卒業し高校生の時分には、こぞってルーズソックスをはき、制服のスカートはより短くなっていった。そして、いつしか「ヤンキー」の存在も忘れ、つまらない大人になっていった私。

 

その取引業者さんの苗字は、その彼女と同じであり、何気なく聞いてみると従妹と判明。それから、中学時代の「ヤンキー」話が盛り上がり、久しぶりにお腹を抱えて笑った。愛すべき「ヤンキー」たち。ある意味、純粋だった彼女たち。残念ながら、その業者さんも彼女とは音信不通となり、近況は知り得なかった。

 

確かにあの時、あの場所に存在した彼女と私。同じ時を過ごした者でも、価値観は各々であり、すべての者と分かり合えることなどない。今までも、これからもそうだ。同じ思いだろうと思っているのはこちらの一方的な思い込みに過ぎない。そんな者たちを一つに束ねていくなんて可能なのだろうか?各々の思いは同じではなくても、結果としてステイホームができれば良いのかもしれない。同じ地球で暮らしていかなければならないのは確かなことだから。