ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

幸福論

あなたと出会うまでは

 

この先もずっと

幸せなんて感じることもない

一度失敗したら

もう取り返しはつかないんだ

そう思っていた

 

 

 

仕事の訪問先でのこと

週1回のデイサービスに

なかなか行く気になれない

100歳も近い女性

 

そんな女性が

たまたま1度だけ

デイサービスに出かけたことがあった

その日は

とても気の合う方と出会い

心行くまでカラオケを満喫されたらしい

 

その日以降

数か月

またデイサービスには行けていない

 

訪問の度に

その日のカラオケがとても楽しかったと

詳細にお話くださる

 

その姿に

「たった一度だけの楽しかったことを

 こう何度も繰り返し話して

 思い出して

 嬉しがるなんて

 幸せよね」

と娘さん

 

楽しかったことを思い出して

また楽しい気持ちになる

 

それって

確かに幸せなことかもしれない

 

今の私には

そんな感情も十分に理解できる

 

目の前にはいなくても

容易に会うことができなくても

楽しかったことを思い出して

というよりは

大好きな人のことを想って

というよりは・・

妄想して

幸せな気分になれるのだ

 

とても

穏やかな気持ちでいられるのだ

 

まさか

自分がこんな気持ちになれるなんて

想像もしなかったが・・

 

たった今一人でも

どんなに辛いことがあっても

どんなに理不尽なことがあっても

大好きな人のことを想えば

たちまち幸福感で満たされる

 

同じ場所にいなくとも

どこかに存在を感じることができる

同じ時を過ごせなくとも

どこかで頑張っているだろうと

思いを巡らせる

 

きっとそれは

独りよがりな思考で

身勝手な感情なのかもしれない

 

私が勝手に好きでいるのだから

それでもいいじゃない

 

私の頭の中の出来事であり

誰にも迷惑はかけていないし・・

 

過去の自分と照らし合わせても

今の自分は決して

物質的に恵まれているわけでも

生活水準が向上したわけでもない

 

私を取り巻く環境は

何一つ変わっていない

 

考えようによっては

幸せではない状態かもしれない

 

 

そう

 

あなたと出会うまでは

 

私の心はカラカラに乾いて

ひび割れていた

今と同じことをしていても

何一つ満たされることなんてなかった

満たされては

いけないとさえ思っていた

 

 

そう

 

あなたと出会うまでは

 

幸せの意味なんて

知る由もなかった

目の前のことをこなすのに精一杯で

物質的に恵まれていることが

人並みな生活をすることが

何かを所有することが

幸せなのかと思っていた

 

 

 

職場の七夕飾りの短冊に

「愛がほしい」

と太字のサインペンで書かれていた

 

そのフレーズに違和感を覚え

書いた者の目星もついていた

 

案の定

2人の子供を持ち

美人な妻を持つ男性が書いた短冊だった

 

「俺、愛がほしいんだ

 ときめきが欲しいんだよ

 愛してほしいんだよ」

 

愛って欲するものなのかな?

 

♬愛されるよりも

 愛したい

 マジで・・

 

私は

たくさんの愛を

与えることができる人間になりたい

愛されたいという感覚が

今ひとつピンとこない

 

もっと言うと

愛されたいなんて思わないし

愛しいものをただ愛していたい

 

愛されたことがないからなのか?

 

愛されたいと口にする

男性を見て

何だか少し残念だった

 

 

人を愛している自分のことを愛している

のかもしれないし

人を好きになっている自分

を好きなのかもしれない

 

ついつい

自己分析をしてしまうが

その理由が分かったところで

私に気持ちに理由付けは必要ない

感情は理屈ではないから

 

大好きな人のことを想うだけで幸せ

 

そんな気持ちに気づかせてくれて

ありがとう

 

そして

そんなあなたを

たぶん

愛しています

 

だから私も愛されたいとか

何をしてほしいとか

見返りは必要ない

 

あなたにこの気持ちが

届かないかもしれない

それでも構わない

 

あなたを好きでいることが

私の幸せなのだから

 

独りよがりの愛があってもよいでしょう

 

それが

今の私の幸福論

 

あなたと出会うまでは・・・