ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

高校生だった

今日も無事に1日終わったな

そんな充実感を味わうのは

職場のブラインドを下ろすときである

 

 

丁寧に生きよう

自分に正直にそして自分を大切に

今、目の前のことを楽しんでいこう

 

そう言い聞かせるうちに

身の回りの物や

もちろん人にも

丁寧に接する機会は増えてきたと思う

 

訪問先のお宅で外門扉を開けるときに

そーっと

心を込めて丁寧に開く

 

階段を降りるときに最後の一段は

ぴょん

と飛び越えてみる

 

誰かを待っておられるのか?

路地を歩いている際に出会ったおばあさんに

あいさつしてみる

すると

 

あらお疲れさんね~

 

思いもかけないかわいらしい声で

微笑んでくださった

 

水たまりを

勢いよく飛び越える

スカートが破れない程度に

 

天井から吊り下げられた表札めがけて

ジャンプしてみる

少し埃が落ちてくるけれど

 

乱れたスリッパを並べる

ちゃり~ん♬

 

あら髪切ったんですね

とても素敵ですよ

ちゃり~ん♬

 

ある時は

タクシーを待っているおばあさんに

話しかける

 

チューリップの芽が出てきてますよ

ほら

白いチューリップですね

 

あら

本当だね

きれいねぇ

~中略~

私はね帯状疱疹をしたのよ

もう痛くてね

~中略~

ありがとうね

 

どこかで会ったことがあるようなお顔

どこかで・・・

 

後で確認すると

ある方の妹様であった

一度会うと忘れないもんだなぁ

 

丁寧に過ごすって気持ち良いな

 

ただ

かなり独り言を言っているかもしれないが

まぁ良しとしよう

 

 

今日も1日終わったな

 

いつもより

少しだけ丁寧にブラインドを下ろした

すると

その感覚が

手の中をゆっくりとロープが滑っていく

その感覚が

国旗掲揚台の旗を降ろす際の

ロープのあの感覚を思い出させた

 

懐かしいな

 

いつ

私は国旗掲揚台で旗を下したのだろうか?

いつ?

 

鶏頭牛後方式で入学した高校では

生徒会活動をしていた

そのときだったか?

 

今はもうないその高校は

私立の女子高であった

大半は

花嫁修業のお嬢様が占めており

私のような人間は珍しかった

 

食物科

 

週に3日以上は調理実習がある

それを3年間繰り返すのだから

嫌でも手際は良くなる

 

まずはキュウリの半月切から

1分だったか?

その間に何ミリ以下の薄さで

何枚切れるか?

が最初の食物検定の内容

 

家でもひたすらキュウリを切り

1年生の1学期は

練習に使ったキュウリばかり

食べることになる

 

級が上がるごとに難易度は増し

大根のかつらむき

何分で何ミリ以下を何センチ以上とか

最終的には

お弁当を作った気がする

時間内にメニューを考え調理し盛りつける

 

公衆衛生学

食品衛生学・・・

単位を修得すれば卒業と同時に

調理師免許を取得できる

5教科よりも

専門学科の方が多かったかもしれない

かなり特殊な学科であった

 

ちょうどポケベルがはやり始めた頃

休み時間には

購買部横の公衆電話に長蛇の列ができる

 

女子高とはとても面白いもので

何の遠慮もなく

各々が各々に好きなことをしても

誰も何も言わない

ある意味自由な校風だった

 

食物科は1クラス

 

その中で

成績は決まって2位であった

英語だけは1位だったのだけれど・・

 

普通にしていただけで

別段目立つこともしていない

その成績だけで

私は生徒会に立候補させられたのだった

 

ちなみに

その1位の子は家庭科クラブの長をしていた

 

進学校はどうなのか知らないが

成績で争うことはなく

その子とも

とても気が合い

当時はやっていた古着屋に

よく2人で入り浸っていた

 

生徒会副会長

 

大した仕事はしていないが

朝礼などのあいさつや

針供養の儀式など

色々と経験させてもらった

 

花嫁修業に来ている生徒が大半なためか

マナーへの指導は厳しいものだった

時には教科書を使い

実技の授業もあった

 

実際には

終業と同時にスカートをたくし上げ

繁華街に飛び出す者ばかりだったのだが・・

 

文化祭実行委員長

 

これもまた

担任に当然のように任命され

文化祭の準備のために放課後を費やした

 

部活はしていなかったから

別に問題もなかったのだろう

 

食物科の文化祭は大変な準備が必要だった

その大変さが一種の伝統のようになっていた

 

文化祭で販売する

パウンドケーキを百本単位で焼く

もちろん前日では間に合わない

日持ちもするので

数週間前からケーキの中に入れる

ドライフルーツを仕込む

アンゼリカにドレンドチェリー・・

もちろん

ハンドミキサーなんで便利なものはない

大きな泡だて器で

ひたすらメレンゲを作る

毎年

腕を痛めるものが続出

 

絞りだしクッキーも同様

固い生地の入った絞りだし袋を

根性で絞っていく

焼きすぎないようにオーブンの見張りをしながら

何百個と焼き上げていく

 

アップルパイはクッキー生地のものだった

爆発しないように生地に切り目を入れる

 

それらのレシピは代々受け継がれたもの

 

文化祭当日に向け

ただひたすら作り

ラッピングしていく

 

高校生には酷な作業かもしれないが

そこから得られるものは大きかった

それに

作業している間も楽しいものだった

 

大量調理に慣れてしまい

1人分の量が

分からなくなるのは職業病だろう

ついつい数を数えながら作業するのも

素手で料理に触るのを極端に嫌がるのも

均等に分けたくなるのも

効率よく作業したくなるのも

食事をのせている台に座るのを許せないのも

職業病だろうか

 

宿題を忘れた生徒には

ペナルティとして

鍋磨きが課せられた

おかげで鍋はいつもピカピカだった

 

なぜか

やんちゃな人たちにかわいがられていた

というより

面白がられていたのかもしれないが

生徒会の選挙の時にも

違う科の金髪の子たちからの

票を集めた

 

私はいたって真面目で普通

髪も黒いし

スカートもひざ下だった・・

 

同じクラスにも金髪の子がいた

彼女は金髪ではあったが

根はとても優しく

頭の回転もよく

人間性が素晴らしく

中心的存在であった

 

家庭科クラブ長の子と

とても仲が良かった

 

はじめは遠慮もあったが

私と彼女が何となく似ているよね

ってことで

仲良くなった

 

大人びていた彼女には年上の彼氏がいた

 

ある日

彼氏のバイクの後ろに乗っていて

事故に遭ってしまった

 

長期入院となる

 

大きな病院にお見舞いに行った

お母さんが付き添われていた

食事はとれず点滴をしていた

意識はなくても髪の毛は伸び

体は確実に生きようとしている

 

しかし

ちょうど針供養の日あたりだったと思う

息をひきとったのは

 

彼女の分まで生きよう

クラス全員そう思ったに違いない

 

これから

彼女が生きるはずだった未来を

彼女の分まで生きよう

 

私の中の彼女は色褪せることはない

忘れることもないし

これからもそうだと思う

 

今、生かさていることに感謝しないでどうする?

なんて贅沢な悩みなんだ

これからのことなんて

どうにだってできる

 

自分次第でどうにでもなるんだ

 

だから

丁寧に生きていきたい

すべてのことに感謝を忘れずに

そして

自分を大切にする術をみつけながら

 

でもね

代り映えのない日々の暮らしの中で

そんな大切なことを

すぐに忘れそうになる

 

まだまだだなぁ・・・