BSで断捨離の番組があり
録画して
たまに見ている
たくさんの子供を抱えて
1人で育てている女性40代前半
大家族では珍しいほど
部屋の中はすっきりとしており
1人で断捨離をしてきたらしいが
アドバイザーが言うには
確かにすっきりはしているが
彼女の表情がさえない
自分の人生を生きていない
彼女自体も
片付けても片付けても
一向に自分が何者なのかが
分からないらしい
他に問題があるのではないか・・
数日密着した結果
思春期の頃
母親から言われた一言で
お洒落をすることをあきらめ
してはいけないとさえ思い
以降
子供たちの母親としてだけ生きてきた
故に
本来の自分が分からなくなっている
その時で彼女の時間が止まってしまった
という結論に行きついた
彼女の何もない寝室に
ぽつんと置かれていた桐の箱
中には
呉服屋の母親から譲り受けた
着物が入っていた
無意識に
その着物だけは捨てられなかったらしい
後日
その着物に初めて袖を通し
関係の悪かった母親と対面
あの時点に戻り見つめなおすことで
押さえつけて忘れていた自分に気が付く
そんな話であった
明日は
ごみ出しの日なので
手つかずだった本棚の片づけを始めた
雑誌などはためずに処分しており
何もない
資格にまつわる教科書や参考書など
またいつかこの仕事をするかも
なんて
何年も読み返さないのに
本棚の隅っこに追いやられている
また必要な時に
最新の情報を手に入れればよい
データも変わっているだろうしと
少しためらいもあったが
処分する
1冊処分と決めると
あとは躊躇なく処分のほうに分類できる
過去を引きづっても仕方がない
世の中も私も変化しているんだから・・
本棚は1/10程になった
これで良い
ついでに
衣装ケースに入れてある
写真や思い出の品物に手を付けた
結果
衣装ケースは空っぽにできた
その途中
高校の卒業アルバムに手が止まる
捨てる前にもう一度見てみようと
分厚い表紙を開くと
あの時の景色がよみがえってきた
担任の勧めで
否応なく生徒会副会長になった
毎週の朝礼や針供養などの行事を行う
当時
小室ファミリーが全盛期で
こぞって
ルーズソックスを履いていた時代
ポケベルのメッセージ送信のため
休み時間の公衆電話には長蛇の列ができた
PHSも流行り出したりして・・
文化祭のテーマ決めの際
「(篠原涼子の)
レディジェネレーションなんてどう?」
冗談交じりで発したフレーズが
全員一致で即採用
女子高であり
淑女の時代なんてなかなかはまっていたのかもしれない
アルバムの見開き1ページに
文化祭の写真が載っており
数枚の写真に
レディジェネレーションの看板が
写りこんでいた
笑ってしまった
そんなこともあったな・・
それらの写真は
私の記憶していた場面そのものだった
そして
それらの場面は頭の中に入っており
何かの拍子に
いつでも思い出すことができる
そこにアルバムがなくとも
いつでもだ
だから
それらも迷うことなく処分する
もしかすると
思い出の現物を見るよりも
記憶の中で思い出したほうが
良い場面もあるのかもしれない
辛い過去も
記憶の中で変換して
楽しかった思い出に変えることもできるだろう
それは
事実が事実である必要もない
自由だ
その「モノ」に執着することなく
手放してみる
必要な時には「モノ」の方からやっくるだろう
でも
寂しがる必要もない
それらの「モノ」は記憶の中に存在し
いつでも感じることができるのだから
それが
私が感じた現時点での断捨離の効果ともいえる
大量の本を紐できつく束ねた
あなたのように
カバン一つで生きていける
そんな人生を送りたい
そう思った