ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

夏の宿泊研修

蝉よりも少しだけ早起きして

コップ3杯の水を飲み

走りに出かけた

 

日の出前の太陽は雲に隠れ

あたりはまだ薄暗い

山添の道路の木々たちの

マイナスイオンを感じながら

ロックナンバーを大音量にして

風を切る

 

梅雨時期の

まとわりつくような空気とは違い

お盆を過ぎたころから

早朝の空気は少しひんやりと感じる

日中はまだ

うだるような暑さが続いているのだが

 

誰もいない神社へと続く坂道を走りながら

夏の宿泊研修のことを思い出していた

ちょうど

今のような空気の時期だった

 

 

高校1年生

当時は父の体調も悪く

奨学金をもらっていた

 

その中から

おそらく無作為で抽出された

県内全域の高校、大学生が

県境付近にある

青少年自然の家のような

研修施設に1泊2日で招かれた

 

私も高校から一人参加した

 

知らない者同士での1泊2日

学年も学校も住んでいるところもバラバラ

共通点は奨学金をもらっていることだけ

 

そんな者たちが

一緒にご飯を食べ

研修を受け

朝のラジオ体操を共にする

緑の山の中で

少し霧のかかった

朝のひんやりとした空気を感じながら

体操をした風景だけは鮮明に記憶している

 

今考えると

そのような研修に

何の意味があったのだろうか

と疑問すら感じる

 

そもそも

私は集団行動が大の苦手であった

 

最後の集合写真は

皆揃ってぎこちない笑顔のままだった

その後の交流もなく

その写真はもう残っていない

 

子供のころは

そのこと事態に

何の意味があるのか分からないまま

また分かろうとしないままに

参加せざるを得ない場面が

多々あったように思う

 

大人たちの都合であったり

その時の社会の制度であったりと

子供に選択の余地はない

 

選択する能力すら

持ち合わせていないから

大人の言う通りに従わずを得ない

 

大人になっても

意に反していることであっても

従わずを得ない場面もある

しかし

子供のころとは違って

その本質を理解して

自分の中で昇華して参加する

 

 

彼女は小学6年生になった

 

幼いころから

遠足の時に私を一人残して

友達のところへ

お弁当を食べに行ったりする

自由な面があった

 

高学年になるにつれ

彼女は

周囲の女の子たちとは気が合わないと

感じるようになる

 

彼女から言わせると

ぶりっこ

だというが

それが悪いこととも思わない

 

友達と戯れることなく

休み時間に読書をするのも良いと思うし

無理に話の輪に入らなくても良いと思う

 

そんな

彼女の行動を

女性の担任の先生はとても心配されていた

大多数の女の子と行動が異なるから

 

私は

それで彼女が我慢していたり

辛い思いをしていなければ

人の迷惑になっていなければ

無理に周りに同調することもないのではないか

と思っているし

彼女にもそう伝えている

 

小学校最後の担任は男性の先生

 

同じような状況ではないかと尋ねると

まったくそのようなことはない

と言われる

 

見る視点によっては

全く違うようだ

 

今はまだ義務教育期間なので

皆と足並みをそろえて

学校教育の枠に入っていなければならない

 

彼女が大人になった時には

思い切り羽を広げて

自由に過ごしてほしいと思っている

 

今はまだ選択の余地はない

これからも

集団行動を強いられる場面があることだろう

しかし

それは悪いことばかりでなく

もしかしたら

彼女の人生を変えるきっかけに

なることもあるかもしれない

 

やはり

子供のころは

苦手だからと敬遠するのではなく

とりあえず

何にでもチャレンジした方が

良いのかもしれないな

 

子供に限らず

大人でもそうなのかもしれない

 

 

体もほぐれて

家に帰りつくころには

大音量で蝉たちが迎えてくれた

日の出前の静かな空気は夢だったかのように

また日常が始まる