ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

卒業「エレーン!!」

高校の担任は、双子の女子高生をもつお母さん先生だった。1クラスのため3年間生徒も担任も持ち上がりだった。そのお母さん先生は、サイモン&ガーファンクルの大ファンだったらしく、朝の学活の際など、その楽曲の話をよくされていたのを覚えている。たまにサイモン&ガーファンクルの曲を耳にすると、高校生の時分を思い出す。

 

そのサイモン&ガーファンクルの穏やかな曲が印象的な映画「卒業」を、まともに観たのは初めてだった。ラストシーンの花嫁を連れ去るシーンが、あまりにも有名でパロディもたくさん目にしてきてはいた。なんとなく、「青春」「素敵」「愛があれば」なんて良いイメージを持っていたのだが、私の誤認だったようだ。

 

ニューシネマが何なのかも良く分からない、映画には詳しくないことを前提にしても、ストーリーが、かなりぶっ飛んでいる。その時代背景やお国柄もあるのだろうが、あくまで今を生きる一人の人間として私の常識がおかしいのか?

 

ここからは、私の偏見に満ちた勝手な映画の感想・・

 

大学を卒業してお祝いパーティーなんて、プール付きの豪邸で優雅な暮らし。自由と成功の国アメリカっぽいななんて思って観ていたら、一転。主人公は、父親の同僚の妻と大人の関係になり・・・ま、この辺りまでは100歩譲って分からなくもない。背伸びしたい年頃だろうし、大人への階段を上るということかもしれない。誰も傷つかずに時が来ればまた元の生活に戻ることもあるのかもしれない。それこそ父親の同僚が言っていたように。

 

大学院への進学も決まらず、夏休みのため就職はまだなのか、アルバイトもせずに、富裕層の親のお金で暮らしているのか?大人を知ってしまった青年は、いつまでも青年でもいられない。自分で稼がなければ、毎日遊びほうけて何やってんだい?・・この辺りで、親目線になり多少イラっとくる。

 

同僚の妻の一人娘が帰省。幼馴染の彼女を、両親に無理やり食事に誘うよう促されて出かけるが、彼女の人権を無視した振る舞いに映画と言えど、息苦しさを覚える。それだけ、上手く構成された作品なのかもしれないが。彼女は、今見てもとても美しく可愛らしかった。主人公やストーリーは滅茶苦茶だが、彼女の可愛らしさと楽曲の美しさで成り立った映画ではないかとさえ思う。主人公が彼女を好きになるのも分かる。まぁ良い。

 

なんだかんだで、「彼女と結婚する!」と勝手に宣言し、進学した彼女を追って大学の近くに住まいを借りるあたり、彼女に近寄り行動を遠巻きに眺めるあたり、偶然を装いバスに乗り込むあたり、今の時代では言い訳のしようもない立派なストーカーであり迷惑行為で逮捕である。

 

もっと分からないのは、母親から事実とは異なる主人公の情報を得たにも関わらず、「結婚するかも」と心境が変化していく彼女。主人公は母親と・・・なのに??私の中の倫理観が崩壊する。いや、もしかして、別にそんなこと大した問題ではないのかもしれない。困惑する思考を落ち着けて考えてみる。映画の彼女の表情を見ていると、やはりそんなこと・・があっても、本能的に主人公のことが好きなのかしら・・だとしたら、やはりこの女優さんの演技力が素晴らしいのであって、どう考えてもストーリーはイカレている。

 

違う男と結婚してしまう彼女をを追いかけて、外車は汚れエンストになるあたりには、もうこちらの常識を当てはまるのはやめて、気分爽快で鑑賞する。行け行け、早く行かないと結婚しちゃうぞ!

 

そして教会の2階?から薄汚れた主人公が窓を叩いて叫ぶ。「エレーン!!」それに応える彼女「ベンッ!!」そして、サイモン&ガーファンクル♬ドレスのままバスに飛び乗り、興奮冷めやらぬまま最後部席に。しかし、二人の顔からは徐々に高揚感は消え、少なからず将来への不安を感じたのだった。

 

ついつい映画を観るときには、何を伝えたいのだろう?と考えてしまうが、そんなのナンセンスなのかもしれない。「卒業」は何を伝えたかったのか?観る側で伝わり方は各々だ。率直な私の感想は、私の生まれる前から世の中の常識と思っていた観念は幻であり、今を一生懸命生きるに尽きるなということだ。そして、「卒業」を勝手に美談と記憶していたことに、自分のいい加減さを痛感し、正しく認識していなくてもどうってことないなとの開き直るのであった。とにかく、「エレーン」は可愛かったからそれで良し。

 

担任のお母さん先生は元気にしているだろうか?