ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

進化

QuicPayコインとは

コンパクトなコイン型のクイックペイであり、ランニング時にリストバンドに装着したり、コインケースに入れたりと、手軽に持ち運びができるもの  らしい。

 

80歳代前半、一人暮らしの女性宅で初めて目にしたそのコイン。昔、編み物をしていたという話から「最近はこれを作ったのよ。ほら、クィックペイをいれるやつなの」と、鍵編みで丁寧に作られた平たい巾着から、500円玉くらいの大きさの青いコインを取り出された。ペイってことは、電子マネー的なものってことか?彼女の娘さんは、ある大都市在住で、その夫は海外勤務と聞いている。おそらく、娘さんが手配してくださったのだろう。「カギと一緒につけていれば、絶対に忘れないから便利なのよ」と彼女。このような地方都市の住宅地でも、クィックペイを使えるお店があるのか・・しかも、それを見事に使いこなし、便利さを実感している彼女は輝いて見えた。

 

また、ある1人暮らしの女性は、二人の子供さんは県外在住の為、いつも過ごしている自宅の居間にカメラを設置し、子供さんらはそのカメラ越しに安否を確認する。iPodスカイプを利用し毎日、服薬確認の声掛けを行う。「いつも見守られているみたいで、安心なのよ。そばにいるみたいだものね」と毎回、お話くださる女性。

 

時代は進化している。次々に新しい便利なものが開発され、続々と実用化されている。高齢者分野でも、話ができる〇〇ちゃんという人形や、Wi-Fiで作動するロボット、ベッドに寝ているだけでバイタルを測定し記録したり、腕時計型の機器を常に装着しておけはGPS機能があるため徘徊を予防、バイタイルを測定し集中管理するため介護する側の労務削減につながったり・・なんだか、できないことを探すほうが難しいようにも思う。

 

もちろん、すべてがそれで賄える訳でもないし、最終的には人の目や手が必要だと思うし、本当の生きやすさを考えた時には原点回帰もあるかもしれない。

 

そんな中、どう抗おうとも、時は進み、後戻りなんてできない。良いのか、悪いのか、便利になっていくのか、そうでなくなっていくのか・・

 

ただ一つ感じるのは、自分がそれにどう対処していくかだと思う。ひと月ほど前、コロナウィルスが流行し始めた頃、ワイドショーであるコメンテーターがこのようなことを言っていた。

「このような時期に生き残れる人とは、どのような人だと思いますか?お金持ちでしょうか?社会的地位のある人でしょうか?私は、適応力の高い人だと思います。この事態を受け入れ、前向きにとらえていくことが必要なのではないでしょうか?」

 

数日前、久しぶりに近所のスーパーに行くと、今までポイントカードは店員さんに渡し、店員さんがピッとしてくれていたのに、客がスキャンする方式になっていた。不思議なことに、大型ショッピングモールも書店も100円ショップも同様の方式に変更されていた。いつの間に・・。

レジ袋、4月から有料です。クレカ払いは4月からポイントはつきません。など。少しの間、買い物に出かけない間に世間は様変わりしており、驚いた。そして、これもまた受け入れなければならない。ほんの些細なことだが、確実に時代は変化していると実感したりした。

 

なんとなく二の足を踏んでいたPayPayもダウンロードしてみた。使いすぎを恐れていたが、まだ現金チャージしか利用していないということもあり、案外と使い勝手は良かった。

 

テレビが地デジになった時のように、ごみの分別が細分化された時のように、ある時をもって、または徐々に変化、進化は進んでいる。その流れに身を任せて上手いこと漂うことができれば、ストレスなく快適に過ごせるのかもしれない。

 

世の中の出来事なんて、そう簡単に変えることはできない。ならば、やはり自分が適応し変化していった方が余計なストレスなく、かえって自分らしく生きることができそうだ。

 

世の中のことなんて、知っているようで何も知らない。自分の住んでいる町だって行ったこともない知らない場所もある。クィックペイも、もちろん知らなかった。知らないことばかりだから、なにかと新鮮で、新しい発見をした時には少しウキウキもする。知らなくてよいこともあるかもしれない。あるがままを受け止めて、自分が楽しくなる方向に進んでいきたい。