ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

旧態依然

健康のために始めたジョギング

いつの間にか習慣化し

休みの日には

走りに行かないと気持ちが悪くなっていた

 

読書同様

走っている間は

色々なことを考え

自分1人の時間に浸り

体が疲れることもあるのだろうが

頭もリセットされるのだ

 

ラソン大会に出たいとは思わない

ただのジャージを着て

家の近所を走ることができればよい

 

自分と対話し体調を整える

木々の移ろいを観察し

四季の移り変わりを肌で感じる

神社へ続く階段を数えて登り

線路の上の歩道橋で立ち止まって

街の風景を眺める

 

今日も元気で頑張っているかな?

 

ただ

それだけのこと

 

曇り空の朝だった

長い下り坂をかけ下りると

みどりのおばさん

ならぬ

みどりのおじさんが

旗をもって横断歩道を渡る子供たちを

見守っていた

 

数か月前までは大きなバイクに乗った

みどりのお兄さんだったが

感心だなぁ

と心の中で思うだけで

大音量でイヤホンから音楽を聴いていることもあり

会釈をして走りすぎるのが常だった

 

赤信号

通勤ラッシュの車を眺めながら

交差点で待っていると

みどりのおじさんが何か話しかけてきた

慌ててイヤホンを外す

 

ちょっと痩せたんじゃないね?

 

いやいや

そんなことないですよ

いつも

ありがとうございます

子供たちのために見守ってもらって

 

あんたの子はどこ小学校ね?

何年生ね?

名前はなんていうの?

知っているかも

 

・・・

 

個人情報保護が叫ばれる中

ドストレートに個人情報を聞かれた

 

旧態依然

 

でも

みどりのおじさんなら

それもありなのかも

 

いつも通り過ぎるだけで

何となく

お互いの存在を意識していたのも確か

話しかけてくれて悪い気はしなかった

 

と同時に

話しかけやすい空気を出せるようになったかな?

と嬉しくもあった

 

 

私が〇〇にいた頃には

こうやっていたのよ

今の子たちもそうすれば良いのに

 

私が〇〇をしてた頃には

こうしてああしてやっていたのよ

だから上手くいったと思うの

 

昔はこうだったのにね

 

はじめは

経験談を聞かせてもらって

ありがたいなと素直に受け止めていた

 

しかし

事あるごとに

私はこうしていた話

が頻回になり

その結果どうなったということも

私が先に答えそうになってしまう

 

なんの進展もない

ただの自慢話に感じてしまうようになり

そんな受け止め方しかできない自分が

とても悪い人間のような気がした

 

心配にすらなってきた

 

同じ話を繰り返していることが

分からないのか?

 

そのたびに

へぇ~

凄いですね

 

ふ~ん

さすがですね

 

と相槌を打つのもしんどくなっていく

 

昔は

そのような方法で上手くいったのかもしれないが

今は状況も違うだろう

もし

アドバイスくださるのなら

それはそれでありがたいことなのだろうが

今ここで

その話を私にしてくださっても

それは私には関係のない出来事であり

何も変わることはなく

ただ

同じ話を繰り返し

ただ

時間を奪われてゆく

 

人の噂話なんて

知りたくもないし

聞いたところで返答に困ってしまう

興味のない話を聞くのが苦痛に思える

もっと他に知りたいことや聞きたいことがたくさんあるのに

そこから何か学べということなのか・・

 

私ってこんなこと考えて

なんて冷たい人間なのだろう

でも仕方がない

そう感じるのだから

できるだけ

顔に出さないように平静を装うが

滲み出ているかもしれない

 

たまには

体ごと向き合って話を伺うこともある

たまには

しっかり話を聞かせてもらわないと

申し訳ないかなと思って

 

旧態依然

 

私は

潔く後進に道を譲りたい

そう思っている

 

そうすることで

上手くいかなかったこともあるが

いつまでも口出しなんてしたくない

自分のやり方を押し付けたくはないし

自分なりのやり方をみつけてほしいと思っている

 

白菜もらったからさぁ~

漬けてくれたら嬉しいんだけど・・

 

私で良ければ

漬けますよ

 

白菜だって、高菜だって野菜に罪はない

しかし

いつまで

これまでの慣習通りにする必要があるのだろうか?

 

遣わなくてもよい気を遣い

特に落ちもなく必要もない話が続く

その場の雰囲気を壊さないように

無難にやり過ごす

 

無理やり今までのやり方を押し通そうとする

誰かが

どの時点かで

見切りをつけた方が良いのではないか?

 

皆悪気はないし

皆の仲良しの輪の中からはみ出すことを

恐れているだけかもしれない

もしくは

新しい方法を取り入れることに尻込みし

前へ進めないだけかもしれない

 

私の周りにとこについては

私なりの方法で

少しずつ対応を変えていっている

 

何が一番大事なのか?

 

そう考えると

やるべきことは意外とシンプルで

迷わずに進むことができるような気がする

 

昔のことが正しいなんて

ただの幻想でしょう?

 

長くしていることは

何となく正当化されていくのでしょう?

 

過去から学ぶことはある

でも

決してそれがすべて正しいわけではないしょう?

 

ミツバツツジが満開となり

咲き終えた花たちは

そっと地面に落ち

薄紫色の絨毯のように美しい

 

葉ボタンの横から

チューリップの芽が顔を出す

誰が号令をかけたわけでもないのに

時を同じくして一斉にだ

 

民家の木に堂々と咲く真っ白なモクレンたち

場所は違えど

やはり時を同じくして満開になっていく

 

咲き終えたスイセン

そっと土に返っていく

何事もなかったかのように自然に戻り

また来年

美しい花を咲かせるのだろう

 

それはプランターに丁寧に植えられ

人間が手をかけた花であっても

道端に咲く野の花であっても

山に植えられた木々であっても

皆一様に季節を感じ取っているようだ

 

やわらかい風が吹く

空気が春を運んでくる

 

それもひとつの旧態依然なのだろうが

人間のそれとはだいぶ違う

 

植物たちのほうが

よほど環境に適応し

生きやすいように変化してゆく

誰が教えたわけでもないのに

時を同じくして花を咲かせ

満開を迎えると

惜しげもなく自然に返っていく

 

そしてまた

来年も時を同じくして花を咲かせるのだろう

 

それに比べて人間は・・

なんてちっぽけで

なんて臆病で

なんてわがままなのだろう

 

何が一番大事なのか?

 

ジョギングを始めたのは

実は健康のためだけではない

自分への戒めのためでもある

 

道標を心に刻み

明日も

変化を恐れずに

目の前のことを誠実にこなしていく

ただ

それだけのこと