ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

離陸と穿刺

5年ぶりだろうか飛行機に乗ったのは。

 

前回は着陸前に大揺れして気分が悪くなり、二度と乗るまいと誓ったが、飛行機に乗らずして旅に出るには不便な地域でもあり、慣れない飛行機に少しの恐怖心を残したまま、飛行場に向かった。

搭乗前に娘が飛行機事故の話を始め、小心者の私は頼むから今は冗談でもそんな話はしないでほしいと懇願する。その娘は、フライト中、ドリンクサービスもガン無視して寝入っていた。うらやましい。

 

恐怖心よりも旅に行きたい気持ちが勝り、シートに座りシートベルトを着用した。待合で一緒だった方々が乗り込んでくる。たまたま、ここで出会った人々。何事もなく、各々の目的地にたどり着けばよいのだが。

 

テレビやスマホが軽量化していくのと同じように、飛行機の造りも随分簡素化されているように感じる。椅子や壁がギシギシするというか、その遊びの部分が必要なのだろうが、こんな簡素な造りで大丈夫なのだろうかと不安にもなる。昔の話なんて年より臭くて嫌だが、スカイメイトで利用していた時には、各々のシートにイヤホンがあり、前方にはテレビ画面があったような気がする。シートはもっとずっしりしていて重厚感があったような。

そういえば、チェックインも随分と便利になった。スマホで搭乗の24時間前にチェックインすれば、即保安検査場へ向かうことができる。遅延もメールでお知らせあり。ただ、スマホの充電がなくなりそうなときは焦ってしまいそう。

 

いよいよ離陸。

 

スピードを上げて飛び立つ前、背中にずっしりとGを感じる。そもそも、こんな大きな塊が空に飛び立つなんて相当な熱量がいるはず。人間が雲の上に行くなんて大丈夫なんだろうか。地上から見る飛行機雲、あの雲のところに行くなんて。

子供たちの利用も多く子供たちはワクワクして窓の外を眺めていた。彼らの存在に救われる。大人の私がおじけづくのも恥ずかしい。

 

大丈夫、大丈夫。飛行機事故なんてかなりの確率なんだから。

加速してふわっと飛び立つ感覚。その加速してから雲の上に飛び立つまで、窓の外の景色の移り変わりを眺める状況は、採血や点滴の際、自分の腕に刺さる注射針を直視する感覚に似ているような気がした。実際に起こっていることなのに、なんだか怖くて見れない。離陸と穿刺。

 

私は、穿刺される際は、必ずと言っていいほど顔をそむけてしまう。なんだか怖くてみれない。娘は、穿刺される際もじっと見ている質であり、離陸の際も食い入るように窓の外を眺めていた。

 

フライト中、天候不良のため揺れが予想されますなんてアナウンスされるものなら、一人こぶしを握り締め足を踏ん張った。爆睡中の娘がらやましい。

 

何事もなく到着し、たまたま一緒の飛行機に乗り合わせた人々の関係性のまま、各々目的地へ向かう。

 

飛行機に乗れないと、遠くへ旅に行くのは難しい。回数をこなせば恐怖心はぬぐえるのだろうか。もしかして、更年期に差し掛かる私の心配性がそうさせているのだろうか。旅にはいきたい、でも飛行機に乗るのはなんだか怖いし、とてつもないストレスを感じている気がする。困ったものだ。