ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

とある女性介護者の回顧録(高利貸しの話)

大手企業技術職の夫は、結婚翌日から自宅に直帰しなくなった。

 

女性は3人の息子を抱え、夫の転勤先について回ることとなる。二人は同じ地元で育ち、中学生の頃、1級上の夫宅へ、母に連れられて女性が裁縫の仕事に出入りしていたことから、素行優良児と揶揄されていた夫の一方的なアプローチで結婚に至ったという。古い武家制度の名残もあり、義母は農民出身の女性にひどくつらく当たったらしい。結婚後も、夫は女性に給与を渡さず、母親へ仕送りし、遊びに使い、何人もの愛人を作っていく。女性に催促されて、仕方なくほんの少しの生活費を渡すといった生活。

 

転勤先は社宅が用意され、家賃は安価であったが、何しろ催促して渡される夫からの生活費はほんのわずか。そのお金で3人の息子を育てなければならない。とある赴任先での出来事だった。女性の実家からの援助もつき、いよいよ支払いが滞る。普段、通る道沿いのビルに「お金貸します」と看板があることを女性は思い出した。まだ赤ちゃんだった三男を抱っこひもでおんぶし、そのビルの扉をたたいた。

 

すると、白いシャツに白いスーツ姿の厳つい男性が出てきた。当時女性は20代後半、その男性は、女性より少し年下に見えた。女性は、藁にも縋る思いで「お金を貸してください」と深々と頭を下げる。「なぜ、金が必要なんだ?」女性は、正直にかつ丁寧に事情を説明した。

 

「金は貸せねぇ。奥さん、まだ若いんだから働いて稼ぎな。皿洗いでもなんでもいい。赤子がいるから大変かも知れないが、親や身内に頼ってもいいんじゃないか?友達には金は借りちゃいけねぇ。関係が壊れるからな。こういうところで、一度でも金を借りたら癖になる。金は貸せねぇよ」

 

表に停めてあった大きな白い高級車で、厳つい男性は女性を自宅の近くまで送ってくれた。当時女性の社宅は、会社が借り上げていたため部屋数も十分な立派な一軒家だった。だが、その社宅の周りには、古くて小さな貸家が並んでおり、その路地を抜けなければならない。白い大きな高級車は通ることができず、貸家の一角で女性は車を下ろされた。きっと、厳つい男性は、女性がこの貸家に住んでいると思ったに違いない。

 

数日後、近所の奥様方とこの話になり、口々に、あなたよくあんなところに入れたわね。と驚愕されることとなる。いわゆる反社会的組織の経営する高利貸しだった。また、貸家の住人の多くは、生活が苦しく借金をしては取り立てに会うそんな生活をしたいたらしい。

 

純粋無垢な女性は、厳つい男性もきっと過去に同じような経験をして、私にお金は借りずに自分で働けと言ってくれたのだと、涙ながらに語られるのだった。