ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

私が間違っていたようだ。

 

確かに、男はアルコール依存症で、仕事は長続きせずに、常に金欠状態、欲しいものがあると私にねだる。母が入用だからと出産一時金を要求され、給付金も手渡した。家賃のために保管していたお金も持っていかれ、とかく金遣いが荒い男たった。金銭管理ができない男。たまにパチンコで勝つと、惜しげもなくほしいものを買えと店に連れて行かれる。しかし、そこで買ってもらうと、次に負けた時に、「あの時良い思いをしただろう、同罪だ」とくる。なんでも人のせい。仕事が続かいないのも人のせい。何一つ、腹をくくって責任を取る男ではなかった。第一、パチンコで勝ったお金でプレゼントをもらっても一つも嬉しくはなかったが、そんな私の気持ちなど男には理解不能だっただろう。毎月の給与は安定せず、常にお金の心配が付きまとった。いくら私が節約しても、男はある分だけ、いやない分までも使い果たす生活だった。男のポケットから零れ落ちたコインをかき集めて、生活費に充てることもあった。「俺が遊びを教えてやる。君は貯めるのが好きだもんな」。やがて男を信用できなくなり、常に通帳を持ち歩く生活となっていった。人との付き合いも疎遠になっていく。好きで一緒にいるはずなのに、生活は苦しくなり正気を失っていった。そんな女が幸せに等なれるはずもない。

 

渦中にいるときには、他者の助言など耳にも入るまい。感覚も麻痺しており、金を無心される状況が常態化していく。その状況から抜け出すという発想には至ることができない。魔法、いや呪縛をかけられたように。

 

完全に連絡を絶ち別れてから数年たつ。

 

思い出すたびに、男のせいにした。そんな男を選んだ自分をどんなにも恨んだりした。一度道を踏み外した以上、もう全うな人生は遅れない。もう、普通の幸せなど求める権利もないと、いつも日陰を歩いているようだった。目立たないように隠れるように。

 

いくら足掻いても仕方のないこと。自分の平衡感覚を保つために、色々な本を読みネットの記事を検索する。こんなこと、人に相談するものでもない。1人で折り合いをつけ、前を向こうと必死だった。それは今でも変わらない。そんな中、最近、違う視点でみることができるようになった。ある本がきっかけだった。

 

どうやら私が間違っていたようだ。

 

男に過剰な期待を寄せて、自分の理想の家庭を築こうと必死に働きかけた。楽しいこともあった。しかし、それは、私の一方的な思いであり、本当の意味で男を愛していなかったのだと思う。もし、本当に愛していたら、こちらの思いを一方的に押し付けることなどしない。男の身になり、どうすれば互いに幸せになれるか考えることができたはず。私は自分の思いばかりが先行して、思うようにしてくれない男のせいだと思い込んでいた。よく考えれば分かったはず。私の感覚と男の感覚は大部分において、180度異なっていたことを。結局、私が大いに男に甘えていたのだと思う。

 

離れては戻ってを何度となく繰り返した。お金がない、家賃が払えない、この男といても生活が立ち行かない、別れましょう。いざ、離れてみるとやはり一人では心細い。また男の元へ戻る。その間、一環として男は男のままだった何も変わらない。こちらが、ああでもない、こうでもないと独りよがりに感情に翻弄され制御不能となり、私は悪くない、男が悪いのだとなる。まったくもって、くだらない話である。おそらく、私が男に無理な注文をして、男を苦しめていたに違いない。その点では、男はおおらかに私を甘えさせてくれた部分もある。大事なことを決めるとき、「いいんじゃない、君の好きにすれば」と一緒に考えてほしかった私は、物足りなかったが、好きにさせてもらっていた。晴れた日の休日、布団を干したい私はまだ寝ている男と言い争いになる。今ならば、何が大切なのか良くわかる。

 

やはり私は男のことを芯から愛していなかった。寂しさからそばにいてほしい、私のためにそうしてほしい。そうしてくれないのは男が悪い。と自己中極まりない思想を持っていたのだ。本当に愛していれば、もっと男の幸せを考えることができたろうに。申し訳ないと思っている。

 

世間的に見れば、とんでもない男にひっかかったものである。アルコール依存症で仕事は続かない。そんな男、やめたほうが良いと10人中10人に言われた。ただ、その男は妙に優しいところがあったのだ。しかし、それは他人に対してだけでなく男自身に一番優しかった。自分に一番甘かったのだ。

 

何かの事故のようなものである。男は、運悪く当時の私とぶつかってしまった。価値観も何もかも違い、普段の生活では出会うはずもないほど違うのに、何の因果だったのだろう。あまりにも違い過ぎて、お互いを高めることなどできずに、傷を深めるばかりだった。お金のことでけんかが絶えず、私の自己肯定感はマイナスへとシフトしていった。普通の人でいてほしい。普通に暮らしたい。普通に。その求めは男に対しては苦痛だったに違いない。

 

別々の道を選択して互いに良かったのだと思う。私のわがままを押し付けてしまって、本当に申し訳なかったと思う。男は何も悪くない。アルコール依存症でも、仕事が続かなくても、借金があっても、それは男の事であって、私がとやかく言うことでもない。そんな男を受け入れられなければ、離れればよいだけであって、男を更生させようなんて、とんでもないおせっかいである。男には男の人生がある。私とは、道が違っていた。それだけの話。横からピーピー言われて、どんなに苦痛だったろう。男は何も悪くない。私のわがままだったのだ。今は、そう思う。

 

1人で子育てする道を選んだのも私のわがままだ。父親のいない状況にしてしまったのも、私のわがままだ。本当に申し訳ない。なんて、人を思いやることができなかったのだろう。人のせいにしていたのは、まぎれもない私のほうだ。

 

過去に戻ることができたとしても、男とやり直したいとは思わない。きっと男もそうだろう。あまりにも違い過ぎて妥協点など見つからないから。男には多大な迷惑をかけてしまったが、あのどん底の生活から自分の傲慢さに気づき反省の毎日である。自分のことを反省しているようで、心からそうできていなかったことをさらに反省する。本当に申し訳ない。

 

やはり、まだ自分が幸せになれるなどと思うことができない。その感覚も忘れてしまっている。私の人生は上手くいかなかったが、子供たちが、周りの人たちが幸せになってくれたらそれで良い。まだまだ私は自責の念を抱え反省の日々である。少しでも優しくされると、たちまち粉々に砕け散ってしまうに違いない。今できることを誠実に、一つづつこなすのみである。

 

時折、このように過去のことを思い出し苦しくもなるが、実は大した問題でもないのかもしれないと思うこともある。生きているのは、今この時なのだから。これから先の選択は、自分次第なのだから。自分は変えていくことができる。