中学に入学した頃
なんとなく覚えた違和感
ついこの間まで
赤いランドセルを背負って登校していたのに
ひざ上のプリーツスカートを履いて
何も疑わずに
学校に行っていたのに
12歳の4月をもって
ぶかぶかでひざ下丈のセーラー服を着せられ
男子はそろって坊主になり
女子は三つ編みまたはひとつ結びを強いられ
中学生活が始まった
急に成長させられた気がした
たった数日しかたっていないのに
ある日を境に
小学生から中学生になる
自分の中身は何も変わらないのに
小学生から中学生にならされる
いくら小学生が良かったといっても
決して後戻りはできないし
立ち止まることさえできない
前進あるのみ
なんだか不思議な感覚だった
通う学校も変われば
クラスメイトの顔も変わり
先生も変わる
自分を取り巻く世間の
その変わるスピードに追い付かなければならない
難しい課題にも取り組み
部活も始まったりして
できないことも
無理をしてでも
なんとかできるようになり
ところてんのように
突き出されてゆくのだ
その場に留まることなんてできない
そうやって
子供たちは義務教育を経て社会へ出てゆく
ところてんのように
時期が来れば
待ったなしで突き出されてゆく
山登りの際に
絶対に登れないだろうという急傾斜な山道を
大きな力に押されて
何か大きなものに下から押し出されて
自分の握力で必死に小枝につかまり
何とか上に登っていく
いざ登ってみると
そこからの景色が当たり前になり
登る前のことなんて忘れて
また
さらに上に上るように指示され
大きな力に肩車される
そんな感じの違和感
しかし
決して悪いことではなく
そのように
次のステージに押し出された分だけ
成長してゆくのだろう
それは
大人になっても意識していれば
度々繰り返されるようだ
上なのか横なのかどこなのか分からないが
今いるところとは
別のステージに行かねばならない
そんな変化の時がある
こんな難題が解けるだろうか?
こんな困難な仕事が務まるだろうか?
こんなことが私にできるだろうか?
今まで自分が経験したことのないことに
ぶつかるときがある
小学生から中学生になるときのように
その変化に身を任せ
前に進むしかない
そうすることで
必ず新しいステージが見つかり
成長した自分を感じることができる
その変化の時は
小学生ならば12歳の4月と線を引けそうだが
大人になった今は
絵の具が混ざりあうようにグラデーションになり
いつの間にか
色が変化してゆくといった感覚だろうか
12歳の4月の違和感を思い出し
大人になった今でも
新しいことに挑むときには
多少の勇気と努力が必要で
前進あるのみ
そう感じる
その先には新しいステージが待っており
自分にできないことは
そもそも降りかかってこない
その時の自分に乗り越えられそうな事象が
訪れているだけなんだろう
そう思える
時は金なり
時は残酷
なんて
色々な捉え方があり
その定義なんて私には分かりようもないが
確実に時は進んでいるのは分かる
「今は孫のこととかあるから良いけど
孫も遠くに行って
旦那もいなくなったら
私の生きる目的って何だろう?
洗濯もしたくないだろうし
何の楽しみもないよね?
あぁどうしよう?」
女性は人のために尽くすこと
に生きがいを感じる生き物
なのだろうか?
そして
同調してもらいたい性質なのはよく分かる
もちろん
私も大好きな人のことを想い
力になりたいと思っている
皆の幸せも願っている
しかし
もっと自分のことに目を向けてあげても
良いのではないか?
人の事ばかりに目が向くから
それ等がなくなった時に
目的を見失ってしまうのではないか?
自分が幸せでいることが
周りも幸せにするということではないのだろうか?
そう思いながら
もちろん否定することなどなく
話を聞いていた
感じ方は人各々であり
次のステージに行くのも
その場に留まるのも
選ぶのは自分であり
正解も不正解もないのだろうから