ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

飽和状態

風呂場で叫んだ。

何度も何度も。

 

どうしようもない怒りや苛立ちが襲い掛かってくる。それに打ち勝つためには、大声で叫ぶすべしか持ち合わせていない。

 

そんな日が年に数回ある。振り返ってみると、たいていは思い通りに事が運ばなかった場合、自分ではコントロールしようもない子供たちの言動や環境などに対する怒りだろうか。さらに思い返してみると、飽和状態に達する前には独り言が増えている気がする。些細なことへの不満が口に出てきてぶつぶつ呟いてしまう。何もかもがいうまくいかない。自分がいら立っているものだから負の連鎖的によくない状態にばかり陥っていく。そして、些細なことを契機に飽和状態に達し、制御不能になった私は大声で叫ぶのだ。風呂場や車の中で一人になって。。。

 

この状態を繰り返さないためにはどうすればよいのか。

 

あまり自分のことを話すたちではないが、職場の女性に似たようなことがないか尋ねてみた。彼女の見解では、私は抱えているものが多すぎるとのこと。子育て、受験、母の病気、仕事、自分のこと、ワンオペによる重責感。仕事は休憩を挟まず時間内に終わらせ、終業後は急いで自宅に戻り食事の支度をする。いつも気ぜわしく動いている。彼女も子供は独立し夫と二人暮らしで今はゆとりがあるが、子育て中は苛立ちがつのることもあったと。湯船につかる時間は何も考えずにリセットできると。

 

苛立つのも当然と言われ、少し心が軽くなった。

 

自分でも、知らず知らずのうちに無理を重ねていたのかも。

 

受験生なのに勉強する姿は見えず、自堕落な生活、担任から急き立てられてもどこ吹く風。浪人させるお金はない、でも自分の納得のいく進路を選んでほしい。そう、私の思い通りに彼が行動しないから苛立つのだ。好きなようにさせて自己責任と言いたいところだが、心配が先に立つ。でも、もういい。私が勝手に苛立っても彼には悪影響だろうし、私にはどうすることもできない。信じて見守るしかない。

 

初日から娘が塾に行かないという。冬休み期間の生活リズムを崩してほしくないから、互いに納得して入塾したのに、私の思い通りに彼女が行動しないから腹が立つ。でも、もういい。行きたくないのに無理やり行かせても良いことはない。自分でできるその言葉を信じよう。

 

仕事でも、思い通りに行かないことばかり。でももういい、流れに身を任せて必要な時に動けばよい。いくら、私が苛立ったところで、事態が好転することはないのだから。

 

ならば、いつも機嫌よくいたほうが良いじゃないか。同じ一日、人生も半分以上過ぎたのだから、残りの人生、笑顔で過ごしたほうがよほど健康にもいいのではないか。そうするためには、一人で抱えている荷物を分散しよう。子供たちにも、母にも、職場にも担ってもらおう。もう、重すぎて持てない。自分でどんどん重くしてきたのだと思う。自分で自分の首を絞めてきた。自分で自分を追い詰めてきた。

自分に厳しくし過ぎてきた。

甘えたらいけない。

甘える相手などいない。

全部自分で責任を取る覚悟で生きてきた。たぶん、そこはこれからも変わらない。

でも、ここで荷物を減らさないともう歩けない。

 

クリスマスイブの極寒の夜、ニット帽を目深にかぶりランニングをしながら、そう思った。いつも機嫌よく生きよう。考えても変えることはできないことも多いし、荷物を減らそう。私がリラックスできるのは、子供たちから恥ずかしいと言われても、着古したジャージを着て近所を走っている時かもしれない。