ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

諦め

息つく間もないこの2か月間。

 

虐待ケースや入退院の支援で、仕事量が増えていることが、この忙しさの原因とばかり思っていた。もちろん母の入院の洗濯物支援や毎日の家事も増えてはいるが、そう負担でもない。しかし、体の方は、四十肩や関節の痛み、疲労感など今までにない故障ぶりだった。

 

通勤の運転中、ふと思いついたことがある。

 

もしかして、仕事量が増えたのではなく、私のパフォーマンス能力が低下していることが原因なのではないか?

 

仕事量は対して変わりはないが、私の対処能力が低下してきており、体の方も、頭で思うようについてゆかず、故障として表れてしてしまっているのかも。

 

なんてこった。。

 

今までのように気力で押し切ることが難しくなり、体が動かない際には、とりあえず一旦停止することにした。何かしようにも、体が動かないのだから仕方がなかった。

仕事も、なるべく意向に沿えるように、スピード重視で対応してきたが、ケースによっては、少し寝かせて時間を置き、今一度考えてから冷静に対応することにした。早くしたくても、追い付かないのだから仕方がない。

 

流し読みしたネット記事で、体が衰えていくのは悪いことばかりではない。能力が落ちて対処できないがゆえに、良い意味での諦めも受け入れられ、無欲になってゆく。若い方々へ、どうぞお願いと譲ることもでき、応援する立ち位置にも立てる。余計なものをそぎ落とし、執着がなくなり、楽になってゆく。子育ても終わり、自分のために働くことができるようになると、仕事への向き合い方も変化してゆく。というような内容があった。

 

なんとなく、体の不調を感じ始め、今までのように仕事をこなせなくなってきた自分に、すっと浸透するような記事だった。

 

そんな今の自分を受け入れることで、少し肩の荷が下りた気がした。同時に、周りの人達や不測の事態に直面した際の心境も変化し、苛立つことも格段に減ってきた。今までは、自分と同じことを周りにも求めていたのかもしれない。それが、相手には相手の事情があり、それを尊重しまた、それに左右されることなく、自分は自分であることが分かった。あくまで、私は私であり、できることはできるが、できないことはできない、ただそれだけの話である。

 

これが諦めということか。

良い意味での。