小学校の卒業式があった
例の如く
コロナウィイルス対策で時短開催30分
児童1人につき保護者1人の参加可
会場入りの前に
体育館横の水道で手を洗うよう指示され
手指消毒を受ける
マスクは必須
パイプ椅子は1脚ずつ離れて置かれ
窓は全開
場所の関係で在校生は不参加だった
中学校の卒業式とは違い
式の始まる前から
保護者の
いや母親達のお喋りは凄まじく
大音量となり
蒲鉾型の体育館の屋根に反響して
頭に響いてこめかみあたりが痛くなる
目を閉じて式が始まるのを待った
子供たちは
入場曲こそなかったが
一列になって足早に保護者席を通りすぎ
淡々と席についた
卒業証書授与は
1人ずつ名前を呼ばれてその場に立ち
後ろを振り返り際にマスクを外す
クラス全員が名前を呼ばれたところで
一斉に前を向きマスクを装着
クラス代表1名が舞台に上がり証書を受け取る
子供たちの顔が見える様にと
後ろに座っている保護者への配慮なのだろう
しかし
そマスクをつけ外しする光景が
なんとも異様に映った
このマスク不足の時期に
全員マスクを着けていることにも
保護者の努力を感じずにはいられなかった
やはり合唱はせず校歌もBGMとなった
最後に
舞台にプロジェクターが用意され
6年間の写真や映像が音楽ともに流される
まるで披露宴のエンディングロールのようだ
そういえば
父が亡くなった際にも
式の写真が音楽とともに収録されたDVDをもらった
ある種エンターテイメントになったようだった
先ほどまで
おしゃべりに夢中であった保護者席からも
すすり泣く声が聞こえる
卒業式のために練習してきたという
ある歌があった
今日は歌うことができないため
休校が決まった日
その日はお別れ遠足であったのだが
帰りに6年生全員で校庭に集まり
その歌を歌ったとのことで
歌声と共に映像が流れる
すると
真ん中あたりに座っていた女の子が1人
すっと立ち上がり
卒業証書をもらった際と同じ動きで
後ろを振り返り
マスクは付けたままであったが
歌い始めた
次のフレーズあたりで
その子の右の女の子が
しばらくして左の女の子も
同じように立ち上がり
後ろを振り返って
3人で歌い始めた
演出なのか?
このまま全員立ち上がって歌い始めるのか?
すると
体育館の端に座っていた教師が
手のひらを下に向け
おそらく
おちついて 座って
と合図している
女の子らも
それに気づき
また席に着いた
その数分間
式場は?に包まれていた
最初に立ち上がったあの子は
どうしても歌いたかったのだろうか?
いてもたってもいられず立ち上がったのだろうか?
少し遅れて立ち上がった2人も
同じ気持ちだったのか?
つられてしまっただけなのか?
コロナウィルス対策で合唱は禁止
式の内容の変更を指示され
その通りに動く者が大半
それが当たり前でもある
そんな中
どうしても歌いたいと立ち上がる者がいても
良いではないか
世の中のことをまだ的確に認識できず
なぜ歌ったらいけないのか
理解できなかったのかもしれない
理解できたうえで反発したのだとしたら
ここが日本ではなかったら
一様に言われたとおりに行動しない者もいるかもしれない
手洗いやマスクに何の効果があるのか
正しく理解しようともしないまま
言われたとおりに一様に行動する
保護者がおしゃべりに夢中になっては
せっかくのコロナ対策も半減
BGMもないまま入退場をする子供たちを
録画するのに夢中で
拍手もまばら
主役は子供達だ
この過去にない状況の中で
楽しみにしていた卒業式は簡略化され
笑顔で喜び合うこともできない
子供たちは環境に順応するのが早く
怖さもまだ知り得ないため
無邪気にも見えるが
大人よりよっぽど大人だ
私たちはちっぽけな存在で
大きな力に従わざるを得ない
それなりの恩恵を受けているのも確かだ
この状況は
誰のせいでもない
仕方がないこと
だからこそ
大人たちが正しく現実を理解して
子供たちにかみ砕いて伝える必要があると思う
それが正しいことなのか間違っていることなのか
その判断はできない
ただ
今起きている現状を理解して対処していくしかない
あの女の子がどうしても歌いたかったのだとしたら
あの女の子の気持ちを心行くまで聞いてあげたい
そう思った