人の話を聞いた時、その出来事について意見を返していることが多いかもしれない。
もしかすると、相手は、その出来事への意見や解決策の助言ではなく、その出来事が起こったときの気持ちを共有して欲しいのではないだろうか。
息子「昨日、あの道であのお婆さんにあったんた」
私「◯◯だから、あの道にいたんじゃないの」
お婆さんが、あの道にいた理由は分かり得ないし、彼もその答えを求めてはいたのではないだろうし、理由が分かったとて、大した問題でもない。ただ、お婆さんに出会った時の驚いた気持ちを共有したかったのではなかろうか。
なぜ、お婆さんの話をしたかったのか、何か理由があったのかも。
気持ちに寄り添わずに、出来事ばかりにフォーカスしては、相手は、話を聞いてもらえた満足感は得られず、話したことすら後悔してしまうだろう。そこで話は終わってしまう。せっかくのチャンスを逃しかねない。
なんて勿体ないことだろう。
気持ちに余裕が無ければ、なかなか難しいが、話してくれてありがとうの気持ちを今一度思い返したい。
もっと言えば、内容なんてどうでも良い。私に話をしようと思ってくれたことが嬉しいし、ありがたいことなのに。
一呼吸おく余裕を身につけたい。