ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

おじさん

秋晴れの土曜の昼下がりだった。小高い丘の小さな住宅街の奥にある緑に囲まれた事業所から、車一台がやっと通れるでこぼこ道を上り、利用者さん宅へ歩いて向かっていた。10月とはいえ、日差しは強く片手に日傘を片手には資料が入った重たいバッグを肩にかけて歩くものだから少し汗ばんでもくる。

 

畑に差し掛かると、道路脇に設置された手作りのベンチに、日焼けして眼鏡をかけた初老のおじさん(失礼だが親しみを込めて”おじさん”という表現がぴったりな男性)が腰かけて、釣り糸に仕掛けを付けていた。

 

こんにちはと声をかけてみる。利用者さん宅への訪問の際に何度か会話を交わしたことがある。おじさんは、耳が聞こえづらく、目も良くは見えないようだが、以前お会いしたことを覚えてくださっていた。

 

一言二言のつもりが、おじさんの話に引き込まれ30分は立ち話をしただろうか。

おじさんは、悩みは何一つないという。

しかし、悩みがないとボケるとも言われる。

何もすることがないとボケると。

 

その日は、朝から船釣りに出かけ小さな鯛3匹を釣り、次回の釣りに備えてベンチに腰かけて仕掛けをつけているという。ベンチに腰かけていると、いろいろな人との出会いがある。誰にでも話しかけて、すぐに仲良くなる。女性に話しかけるのも好きだが、一番の楽しみは、登下校する近所の子供たちにあいさつの声掛けをすること。

小学2年生後半頃から、最初は恥ずかしそうに顔も見てくれなかった子供たちが、自分の方から挨拶をしてくれるようになる。ベンチは通学路に設置されており、近所の子供たちが小中学校へ行く際には必ずおじさんのベンチの前を通る。

 

おじさんは、子供たちにスルーされても構わない。顔を見て声をかけるのが楽しみなのだ。やがて、高校生になり社会人になっていく子供たち。その一人一人の成長を見守るのがおじさんの生きがいになっている。

 

おじさんは、近所の情報通でもある。不意に私に独り者かと尋ねてくる。現在は独り者であると答えると、上の前歯のない口を大きく開けてひと笑いし、このあたりに3人、隣町にも1人出戻りの娘さんがいることを教えてくれた。

 

おじさんは、人の話を聞きだす事にも長けている。子供がいるのか尋ねられ、高3と中3になる子がいると答えると、眼鏡を曇らせて大笑いし、それなら子供の手が離れるまで一人で育てた方がよい。大変だろうけど頑張ってと励まされる。

 

おじさんは、今朝釣った鯛を夕飯の楽しみにし、今日はもう晩酌分のビール2本を飲んでしまった。奥さんに飲むとおしゃべりになって余計なことまで話すからと注意を受けているのに。おじさんにとっては奥さんに怒られるのもコミュニケーションの一つ。

 

自分の時間を過ごし、ベンチに座って世間とつながり、子供たちの成長を見守っていくことがおじさんのルーティンであり生きがいでもある。

 

そんなに金持ちでなくても良い。違う環境で生きてきた者通しが一緒になるのだから、我慢も必要。よほど、仕事が続かなかったり家にお金を入れないなど問題がなければよい。また、子供の手が離れたときにおじさんと会えればいいいね。ま、5年くらいはおじさんも元気かもよ、と日焼けした顔をくしゃくしゃにして最後に大きく笑われた。