satoimo's diary

人生も折り返し地点を過ぎた。自分を大切にするためには...

見守る

子どもが小さい頃には、弁当持参で公園へ行ったり、道端に咲いている花を見る余裕もあった。ベンチに腰かけて季節の風を感じたり、虫の音や草木の香りも感じることができた。暗くなる前に帰って、ご飯にしよう。太陽と一緒に日々の時を刻み、夏の暑さや、冬の寒さにも身を任せ、何ら抗うことなどなかった。二人はいつも手の届くところにいて、どんな危険からも守ることができた。彼らが嬉しいと私も嬉しくなり、彼らが悲しいと私も悲しくなる。まるで、私の体の一部のようだった。

 

時は流れる。決して停滞することはない。

 

何も変わらないつもりでも、時の流れと共に変化してゆくことで、変わらない状態を維持していく。

 

彼らも反抗期を経て受験を迎える。いや、いまだに反抗期でもあるが。各々の世界観を持ち、各々のシステムの中で過ごし、物理的にもいつでも手の届くところにいることはできない。何かあっても、常に守ってあげることができない。

 

雨が降ると、濡れていやしないかと心配になる。弁当はちゃんと食べただろうか?提出物は出せただろうか?電車で事件など起きていやしないだろうか?帰りの通学路で不審者に遭遇していないだろうか?何をしていても心配は尽きない。妄想しすぎて不安に駆られて自分の時間を過ごせなくなることもある。

 

できることなら、宿題を代わりにやってあげたい。代わりに受験勉強をしてあげたい。彼らが辛いと思うことは、全部引き受けてあげたい。

 

もし、代わってあげることができたなら、それは彼らの成長の芽を摘むことになるだろう。自分で悩んで挑戦して成功して、ときには失敗して、自分の経験値として気が付いてゆかなければ、いつまでたっても他人事、成長にはつながらない。分かっている。分かってはいるが、何も言わずに見守ることはなかなかしんどい。ついつい一言言いたくなる。

 

彼らの成長を願うなら、彼らを信じて見守るのみ。そう自分に言い聞かせて、私は私の世界を生きていきたい。なかなか難しいが。