ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

同じ話の繰り返し

歳を重ねると、ついつい気になることは何度も何度も繰り返して話してしまう自覚は既にある。嬉しいことも、心配なことも、心にあることは何度も何度も話したくなるもの。

 

認知症にも、色々な種類があるのは世間にも知られてきている。私たちのお客様もそのような診断を受けられている方が多い。もともとの性格や環境によって、ひとくくりに語れるものでもない。

 

最近では、テレビでも特集が組まれたが「息子介護」も増えているように感じる。「未婚の息子と認知症の母親」そうフレーズとして表現するのはあまり好きではないが、息子さん方は、誰よりも母親を大切に思われているように感じる。

 

だんだんと分からないことが増えてきて不安に感じる母親。それを上手く受け止められずに苦悩する息子や、割り切って半ば事務的に介護している息子、その関係性も様々だ。息子には迷惑はかけたくない、息子には下の世話はしてほしくない、でも・・・。

 

とある「息子介護」といわれる状況のご家庭。認知症の母親は数秒おきに同じことを尋ねる、1人では判断できずにそのたびに息子の顔を見る。食事の支度、洗濯、掃除などの家事をすること自体が分からなくなり、着替えやお風呂なども、どうしてよいか分からない、1日中椅子に座ってテレビを眺めて過ごし、トイレの失敗が増える。声かけがないと食事を食べることも忘れ、今までのようにしていたことができなくなっていく。

 

同じことを繰り返し聞いてこられることについて、ご負担ではないか息子さんに尋ねたことがある。

 

「逆に私から、毎日同じことを聞くようにしています。仕事から帰ったら、今日はどこへ行ったの?と聞くと、デイサービスに行ったはずなのに「どこへも行っていない」といつも言いますよ。だから、こちらも同じことを聞いて、同じ答えが返ってくるのを楽しむようにしたんです。ははは」

 

「朝起きたら、まずおむつを探すようにしています。タンスに隠したり、洗濯機に入れているときは確認せずに洗濯して大惨事になりますからね。ちゃんとごみ箱に捨てていることもありますよ。今日は、どこにあるかな?ってね」

 

母親の問題行動ともいわれるこの状況を、逆に楽しまれている逆転の発想に心動かされた。このような息子さんの支援もあり、母親はかなりの短期記憶障害もあるが、いつも冗談を言われたり、穏やかに落ち着いて過ごされているように感じる。きっと、息子さんに見守られて安心されているのだろう。

 

同じような状況では、大抵の方は困惑し、現状を受け入れられず、なぜできないのか?と理由を探してしまう。目の前の事実に対処することよりも、何かのせいにしようとしたりする。それがご家族として普通の心情だと思うし、私もそうしてしまうと思う。私はこんなに頑張っているのに、どうして?と。

 

息子さんは「気持ちを切り替えましたよ」とも話されていた。母親の変わりゆく姿や行動に落胆された時期もおありかと思うが、その時期を通り越して上手く昇華されたのだろう。同じ話を繰り返す、排せつの失敗が増える、薬を飲むことを忘れる、介護の手間が増える・・そんな状況でも、その現状の一つ一つに対処していくことが大事なのかもしれない。そうすることで、少し距離を保ち、お互いに苦しまずに済むのかも。なかなかできることでもないのだろうが、ヒントをいただけたように思う。

 

こんな話を思い出した。

 

高齢の父親と中年の息子が公園のベンチに腰かけて景色を眺めている。ベンチには餌を求めて数羽の鳩が近寄ってきた。父親は「なぁ、あの鳥は何という名前だ?」と息子に尋ねる。「あぁ、あれは鳩じゃないか」と答える息子。それから数分の間に、父親は何度も何度も息子に尋ねる。「なぁ、あの鳥は何という名前だ?」あまりにも同じ質問の繰り返しに、しまいには息子がきれてしまい「鳩だと言っているじゃないか!なぜ、何度も同じことを聞くのか?」と怒鳴りつける。すると、父親は「お前がまだ幼いころ、今と同じようにこのベンチに座って、私に尋ねたんだよ。何度も何度も「あの鳥は何という名前なの?」と。私も何度も何度も「あれは鳩というんだよ」と答えたのさ。もう、我慢比べのようなもので、何百回か目でお前は質問をやめたんだ。私の勝ちだな」

そう父親に聞かされた息子はどう感じただろうか?

 

相手が子供ならば、何回でも何回でも同じ返事ができる。まだこの世のことはほとんど知らないのだから、質問を受けることを頼もしく思ったりもする。相手が高齢の方だったらどうだろうか?自分よりもはるかに経験豊富で、世の中のことは知り尽くしている。しかも自分の親だとしたら。結局は、こちらの受け止め方次第なのではないか?

 

息子さんの話を伺って、いつも息子さんが穏やかなのも、介護が必要で大変な状況でも嫌な顔一つされないのもよく理解できたように思う。そして、そんな息子さんを見習い人にやさしくできるような気がしてきた。