ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

私のお父さん

寿命でなくなるのは

悲しくないけど

病気でなくなるのは

悲しいよね

だから

おじいちゃんがなくなったとき

わたしは

泣いたんだよ

 

彼女がまだ保育園の頃

私の父はなくなった

 

6月の梅雨の時期で

その時にも

路地には

紫陽花が咲いていた

 

長く病気療養中で

入退院を繰り返し

今回も

いつものように退院できるさ

とたかをくくっていた

 

 

また家に帰れるかな?

 

と力なく病床で呟いた光景が

今でも鮮明に思い出される

 

大丈夫だよ

また帰れるよ

 

しかし

今度ばかりは叶わなかった

 

心停止する数日前の

また家に帰れるかな?

の言葉を最後に

父はどこかへ行ってしまった

ような感じがしていた

 

たしかに

そこに身体は存在するし

人工呼吸器で呼吸し

心拍数も確認できるのに

 

人工呼吸器を嫌がり

外そうとすると

抑制された

かすかに意識はあり

必死に抵抗していたが

やがて

されるがままになっていった

 

私の父は

もうそこにはいない

たくさんの機器につながれ

無理矢理

生かされているようだった

 

点滴の中に

血圧を上げる成分を

注射器で注入する

そうすると

また血圧は持ち直し

モニターからの電子音や

そのモニターばかりを見て

誰も父を見ようとはしない

 

私たちの誰一人として

医者でもないのに

目の前の父は見ずに

バイタルばかりを気にかける

 

間が持たずに

布団をめくり

チアノーゼ気味の足を見ては

感想を言い合う

 

口元から粘液が出てきて

ティッシュで軽く押さえると

その粘液はどこまでも伸びて

そのまま拭き取ると

父の魂まで出てきてしまいそうだった

 

また家に帰れるかな?

 

と呟いたあの時に

やはり

もう父はいなくなっていたのだと思う

 

あれから数日間

機器につながれたり

面会者に観察されたり

もう

楽にしてあげたかった

父はモノじゃない

そう思ったのは私だけだろうか?

 

遠方の親類の到着を待ち

点滴をセーブし

静かに息を引き取った

 

悲しいというより

よく頑張ったね

もう十分だねという

安心感の方が大きかったかもしれない

 

入院中

発語が難しくなってきても

不思議と私だけは

父の言葉を聞き取ることができた

やがて

意思疎通も困難となった頃

聴覚は残っているはずと

一方的に話しかけていた

 

 

そんな時

エレベーターで母と2人になった

 

しんだらおしまいよ

 

と口にした母

その言葉を

忘れることができない

 

一瞬にして

信じていたものに

裏切られたような

すべては無意味な事に感じられた

それは

母の本心ではなかったのかもしれない

だが

その時の私には

そう受けとめる事は出来なかった

 

私にとっては

突き放されたような

衝撃的な一言で

今までもあるとはいえないが

信仰心は全くなくなった

そして

母との間にも

距離を感じるようになった

それはとても悲しい気持ちで

絶対的と信じていた母は

やはり

私とは違う人間なのだと

思い知らされたようでもあった

 

だから

悲しくなかったのだろうか?

 

その日以降

仏壇に手を合わせる気になれずにいる

しんだらおしまいだから

 

母の方は

葬儀も済ませ

月命日にはお寺に通い

毎日仏壇に手を合わせている

 

なんて非情な娘なのだろう

 

私は

父はなくなってしまったが

いつも心なのか頭なのか

私の意識の中に

存在を感じることができる

 

時々思い出し

語りかける

 

だから

母のように

毎日仏壇に手を合わせることはしないが

私は私なりで良いと思っている

 

そうだよね?

お父さん

 

母のことは

決して嫌いになった訳ではない

違う人間だと気付き

親しき仲にも礼儀ありと

距離を保っているだけ

 

だから大丈夫だよ

 

心配しないでね

お父さん

 

私は私で頑張ります

 

 

いつでも心なのか頭なのかに

存在を感じることができる

大切な人を想う幸せ

に気がつきました

 

だから大丈夫

そうだよね?

お父さん