いつもと違う方向から帰宅すると
今まで空き地だったところに
今風のおしゃれな家が建っていた
最近は
家一軒建てるのにそう時間は要しないようだ
建築費もリーズナブルになっているのだろうか
どこかで作ったパーツを
組み立てるだけと聞いたこともある
雨戸や玄関の庇もない家も見かける
道路からすぐに掃き出し窓のリビングがあったり
家の概念そのものも進化しているのを感じる
私の父は設計士だった
今でいうところの二級建築士だ
初めは現場監督をしていたと聞いている
独立して設計事務所を開いてから
自分の手で家を作れなければ
大工さんにお願いもできない
設計の仕事はできない
と
一時大工さんに弟子入りして
カンナやのこぎりを持って現場に通っていた
三姉妹の末っ子の私は母も勤めに出ていたため
よく父に連れられて現場に行った
まだ柱しかない家は木の良い香りがして
カンナで削るたびに新鮮な森の香りがした
部屋の間取りを想像しながら
床の貼られていない木の上を
平均台の様にして渡って遊んだ
当時はまだ金づちでくぎを打つものだった
細かい作業はのこぎりやノミも多用していた
電動のこぎりは大工さんの道具で
父には使わせてもらえなかったのかもしれない
大工さんだけではなく
水道屋さんや建具屋さんなどと協力して
どんどん形になっていく
どこからか運んできて組み立てるのではなく
その土地で基礎からはじまる
棟上げでは屋根に鮮やかな飾りを立て
紙に包んだ小銭やお餅を投げる
近所の人に混ざって拾うのが楽しみだった
棟上げの夜は
ビニールひもでくくられた2本の焼酎と
木箱風の箱に入れられた蒲鉾や
赤飯をもらうものも楽しみだった
一通り大工さんに教わり
父は設計から大工仕事まで一人でこなし
自宅の横に事務所を建てた
最近の木は合板というものだろうか?
圧縮した木に綺麗な木目の何かを重ねて
見た目は木なのだが
それは合板
あの建築現場で触れた木とはまるで違う
釘もほとんど使わないのではないか?
ホチキスのようなものや電動ドリル・・・
決してそれが悪い訳ではないし
技術の進化の一つだ
慣れない大工仕事で体を酷使し
自営業の為健康診断も受けず
体調不良も見て見ぬ振り
仕事に打ち込み
気づいた時にはもう遅かった
闘病の末
なくなって10年になろうとしている
設計図だけでは家を建てることはできない
木を切って組み立ててくれる大工さんがいないと
大工さんにしか分からない技術がないと
いくら良い設計図があっても形にはならない
なぜそうなるのか?
どういう仕組みになっているのか?
それを知ろうとした父の探求心
決して奢らず
大工さんに敬意を表して教えを乞う姿を
誇らしく思う
1人でできる仕事ではない
色んな人のおかげさまで成り立つ仕事だ
逆に言えば
全部を1人でできなくても
良い意味で人に頼ることで
もっと良いものができる
私は
人に頼るのは苦手だが
何が大事かを考えれば
時には頼らせていただいた方が
上手くいくこともある
人の力を借りることで
もっと良いものが出来上がり
頼られた人のストレングスを
引き出すことにもつながる
人に頼るのは弱さじゃない
時に頼られることもある
誰が強い誰が弱いなんて
この広い世界では
大した問題でもないのかもしれない
もっと
大切なことがあるはずだ
世界は広いし
人間なんてちっぽけで
そんなに大差はない
あっという間に時が過ぎて行く
ならば
誰がどうとか何がどうとか
取るに足らないこと
父と軽トラで現場に行った
あの頃を思うと
胸がキュンとなる
何が大切か感じながら
正直に生きていきたい