ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

断捨離1年後

昨年の今頃

断捨離をした

 

洋服からCDや本など

最初はためらいもあったが

次第に手放す快感さえ覚え

ごみ袋何十個分も

事業ごみかと間違われるほど

ごみステーションを何往復もした

 

気分は晴れ晴れして肩の荷が下りたように

身も心も軽くなり

前向きに過ごせるようになった気がする

 

あれから一年

 

確かに余計なものは

物も感情も手放し

必要な物や事に

気が付けるようになった気がする

 

すべて断捨離した!と思っていたが

台所のシンク下や吊戸棚は手付かずだった

 

とりあえず不要な食器を処分

一か所すっきりすると

その周りも目につく

シンク下には色んな色の籠が混在し

見た目に美しくないことに気づく

普段は不都合も感じずに作業していたが

色の統一性のなさや物の多さが気になり

仕事中も寝る前も考えてしまう

 

まず

不要なものを処分

色の揃ったぴったりサイズの籠を

100円ショップにて大量に購入

整理しだすと止まらなくなり

数日かけて

レイアウトを考える

 

はじめは

そこにあるものを同じ場所に収納しようと

囚われていたが

籠にぎゅうぎゅうに詰め込む必要はなく

むしろ

一つのものを一つの籠に入れるくらいがすっきりした

 

そこに収納されているものは

ただ何となく

そこに最初に入れたままになっているだけで

そこにある必要はない

なくなったところで大して不便でもない

 

自分で勝手に

「これはここ」と決めつけていた

断捨離しながら

不必要なものに執着していたことに気づく

「いつか使うかも」

なんてものは滅多に使うことはない

本当に必要なものだけを厳選していく作業

 

数日にわたり

とりつかれたように台所の整理整頓を兼ねた断捨離をし

またも身も心も軽くなった

色んなものに執着していたことを改めて実感した

 

それは職場でも感じることがある

 

ただ何となく初めに誰かがしたことが

さも常識かのように引き継がれていく

何故そうしなければならないのか

説明さえできないことでも

昔からこうだからという理由で

意味もなく繰り返されていく

 

もし

見直すことができたなら

何かに囚われていたことに気づけたらなら

もっと有意義な方向に進むように思う

 

意味もなく

訳もなく

ただ同じことを繰り返すのでは

なんだか面白くない

 

もちろん

大きくとらえると

伝統を引き継いでいくのは大事なことだろう

 

しかし

常識を疑ってみても良いのではないか?

その常識となったことは

正しいのか?正しくないのか?

他に良い方法もあるのかもしれない

多数決で多いほうが常識になるのだろうか?

果たしてそれは良いのか?悪いのか?

 

いや

そのような判断をすること自体

ナンセンスなのかもしれない

 

またも

事業ごみと間違われそうな数のごみ袋を排出した

 

整然と並べられた籠たちを眺めて

とても気持ちが良かった

まだまだ

意識していないだけで

目の前にあっても気が付かないことがあると思う

その時の自分の状態で

気になったり気にならなかったり

 

いつも気持ちよく過ごしていたい

 

オーケストラのCDをいただいた

チャイコフスキーなんて名前を知っている程度であったが

大音量で通勤中に聞いていると

とても優雅な気持ちになる

 

人は

環境に影響されるところも大きいようだ

 

部屋がすっきりして

優雅な音楽に触れて

不要なことに反応しない練習をし

小さな善を積み重ねると

とても充実した感覚を覚える

 

世間から見ると

決して幸せな状況でもないが

今の私は幸せを感じることができる

 

要は

自分がどう感じるかだ

 

私は

今まで生きてきて

今が一番幸せだ

そして

これからもっと楽しいことがあるような気がして

わくわくする

時が経てば年を重ね

女性としては悩ましいところでもあるが

人としては成熟していくようで

楽しみでもある