ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

包装紙

「これ〇〇さんにいただいたのよ

 ちょっと他の部署にも配ってくるね」

 

そう言い残した上司の机には

丁寧に開けられた

デパートの包装紙が広げられていた

普段なら

開封してしまうとくちゃくちゃに丸めて

捨ててしまうところだが

それは

折り目もそのままにきれいに開けられており

紙本来の美しさを感じるとともに

祖母宅での光景を思い出していた

 

 

お中元やお歳暮の時期になると

親戚やご近所さんから

贈り物をいただくものだった

 

大きな箱に入れられ

デパートや商店の包装紙に包まれたそれらは

決まって床の間に積み重ねられ

更に数が増えると

仏壇の横にまで積まれることもあった

 

お盆やお正月期間中は

決して開封は許されず

それらの開封には

祖母の一声が必要だった

 

まだ幼かった私は

祖母から

「包装紙はまた使うんだから

 丁寧に開けなさい」

と言われ

おそるおそる

しかしワクワクしながら

ハサミの片刃を滑らせて

丁寧に開封するものだった

 

包装紙を開けさせてもらえるのは

末っ子の私の特権でもあった

 

その時が来るまでは

薄い包装紙から透けて見える

箱の印字に目を凝らし

中身を想像して楽しんだものだ

 

少し軽いこの箱は

海苔の詰め合わせかな?

これはずしりと重いし厚みもあるから

きっと果物缶詰め合わせに違いない

(特にフルーツみつ豆が好きだった)

浅めの箱でこの重みだと

カニの缶詰かな?

このサイズの箱はきっとカルピス

残念ながらこれは洗濯用洗剤か

食器用洗剤詰め合わせの可能性もある

木箱と見受けられるそれはそうめんだろう

袋にそのままのしを付けたお米や砂糖もあった

一番嬉しいのは

ゼリーの詰め合わせだったろうか

焼酎の一升瓶を2本

ビニール紐で括りのしをかけたものも

毎年床の間に並んでいた

 

開封作業を許された私は

折り目もそのままの包装紙を丁寧に畳み

中身と一緒に祖母に差し出した

時にはテープが上手くはがれずに

失敗もある

七夕飾りの紙のように薄い包装紙は

特に難しかった

 

大変失礼にあたるが

中身を確認した後に

また同じように包みなおすように命じられ

お返しとして品物ごとリユースされる場面もあった

 

丁寧に開封リユースもされなかった包装紙は

どこへ行ったのか

それは今でも分からない

何かにつけ

「まだ使うから」が口癖の祖母

ものを大事にして

捨てることができなかったのだろう

 

そんな祖母を見て育ったはずなのに

今の私は

アメリカのドラマのように

ぱーっと開封

包装紙よりもその中身に意識が向いて

また使えるかも

と大事に取っておくこともなくなっていた

 

しかし当時は

いや今でも

有名デパートの包装紙に包まれた品物は

包装紙に包まれていない品物と同じ商品でも

価値あるものに感じられる

 

しかも

その包装紙がピシッとしわもなく

ちょうどよいサイズ感で包まれていると

贈り主の人となりも

それ相応のものに感じられるから不思議だ

 

そして

包装紙は紙本来の美しさを放ち

丁寧に包装された姿には

気品さえ感じる

品物を包んでいる間は

確かに包装紙の役割を果たしている

 

そして

開封されたそれらは

生気を失いただの紙に戻ってしまう

 

それは悲しいことではなく

きちんと任務を完了したのだから

幸せなことなのかもしれない

 

包装紙は包装紙としてのお役目を

きちんと果たして

そしてその人生を全うしてゆくのだ

 

 

上司の開封した

折り目のない包装紙を見て

また

丁寧に包装紙を開けてみようと思った

 

大人になった今なら

また違う感覚を覚えるかもしれないし

どんなものでも

丁寧に向き合い扱うことで

清々しさを感じることができ

何しろ自分が気持ちよくいられる

 

それ以前に

現在では

包装紙は資源ごみであり

リユースされるべきものでもある

 

何気ない包装紙との再会で

丁寧に生きていくという感覚を

取り戻したのであった