ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

空白の18年間

「肩の力を抜いていいんだよ」

その言葉の意味が、ようやく体に入ってきた。

 

まだ高1の娘はいるが、進路は決まっている。息子も大学に入学し、気持ち的にも少し余裕が出てきた。コロナ流行も表向きには沈静化、仕事にも慣れてきて、自分を顧みることに意識が向いてきた。ほんの少しずつ。

 

18年間、無意識のうちに子供に意識が集中していたんだと思う。脳内メーカー(懐かしい)があれば99%は「子」だったと思う。昨年頃から身体の不調も出始めており、やっと自分を見つめなおすことにした。すると、母親となったその日から18年間、世間から置き去りにされ、いろんなことが変わっていることにショックを受けることとなる。

 

①時給

高校時代、初めてのアルバイト時給は600円に満たなかったと記憶している。今の職場には息子が7か月の頃から勤務している。18年間、アルバイトなどすることもなく、自分の給与を振り返ることもなかった。ここにきて、息子がバイトを始めるにあたり、求人誌→ネット検索が主流、履歴書手書き→PC作成、時給1,000円近いことに驚く。そんなにもらえるんだ。この18年間でそんなに時給がアップしていたとは。当然といえば当然。

 

②出願→入学

昨年、ダブル受験となったわけだが、出願はネットで各個人で行った。いちいちコンビニにプリントアウトしに行くには手間がかかり、プリンターを購入。幸いゲームのためにとWi-fi環境にしていて良かった。大学では入学準備も、入学手続きや物品購入等ほぼ全てネットで済み、必要書類のみレターパックで郵送。高校も入学式で保護者もアプリ登録し、メールでのやり取り。紙ベースではないんだ。18年間で凄まじいデジタル化。

 

③不動産入居申し込み

息子の一人暮らしのため、内見に行った。ネット経由で各不動産がカギを借りに行かずに内見できるよう、部屋にはダイヤルロックのカギが別につけてあった。もちろん、不動産予約もネットで。保証人は不要な物件もあるが、家賃保証のため保証会社との契約は必須であり審査がある。不動産会社からスマホに送られたアドレスに進み、情報入力し免許証撮影し添付すると、不動産→保証会社審査となり、進捗状況は画面で確認でき、審査後は電話連絡あり、契約となるらしい。いまさらだが、スマホ所持が大前提となる。ちなみに、コロナ禍で初期費用を抑えたい志向が高まり、敷金礼金はゼロ、退去時に請求という流れが増えているとか。毎月の保証会社への支払いも気になるが、駆け付けサービスなど受けられるらしい。スマホの契約同様、そのサービス全てを理解するのは至難の業。昔は家賃5か月分用意しておくものだったが、家を借りやすくなったということか。

 

エス

24時間予約可能。気軽に手軽に若者でもエステに行く時代。分割払いだと小遣いで賄えそうだが、小さな字で48回払いなんてある。病院同様問診もタブレット、カウンセリングは小さな個室で白いA4用紙に書いて説明され、理解が追い付かない。早めに支払方法を聞かれる。カウンセリングだけと思って来てまだ迷っているのに。丁寧におでこのしわ取りのためのヒアルロン酸注入も込みの結構なコースの見積もりを提示される。医師はちらっと顔を出し診察、正直、価格面でコースを迷っていることを告げる。その後、先ほどのカウンセリング担当者が若干のお値引きをした見積書を持参。お会計は別の担当者が行い、カードを預かって行かれた。見えないところにカードを持っていくなんて、今の時代は普通なのだろうか。私が古いだけかも。なぜお値引きできたのか?そういえば、受付時にline登録の有無を聞かれたが、契約時には何も言われなかった。帰宅後、再度検索してみると、line登録し予約するとかなりのお値引きがあったらしい。情報は自分でつかみ取らねばならない。しかも、いろいろな媒体を見比べなければ。昔は、広告の紙一枚持っていけばよかったのに。

 

⑤公共交通機関

公共交通機関で出勤した。自家用車通勤歴18年間、何の気遣いもなく、自分の空間でそのまま移動しているかのような安心感があることに気づいた。公共交通機関はいろんな人と結構近くに乗り合わせる。その距離感が新鮮でもあった。また、普段お年寄り相手の仕事だが、お年寄りの姿はほとんど見かけなかった。学生や若者、サラリーマンが多く、高齢化社会は噓のよう。むしろ、その感じが普通で、自分が特殊な環境で過ごしているような気がした。駅も高架化され、車窓からの眺めは都会と変わらない。標準語を話すサラリーマンも多く、都会の企業が進出してきており、昔のような閉鎖的な感じもなくなりつつあるようだった。リモートで仕事ができれば、都会に集中する必要もないのだろうし。ピッではなく、小銭を運賃箱に入れる少数派の変わらない姿もあった。

 

日々、歳を重ねてはきたが、ごく狭い範囲で生活し、世間を見ているようで自分に不要な情報は排除し、しかるべき環境の中に身を置き、自分をケアすることなど考えもしなかった。いつも頭の片隅に子供たちのことがあり、早く帰ってあれもこれもしなければと、ゆっくりと買い物をすることもなかった。今でも、多少は気にかかるが、各々の道を歩き始めたのだから、私もそろそろ自分の道を、18年間の空白にショックを受けながら歩んでいこうと思う。うまく順応できるように。