ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

小さなお葬式

病気療養中であった叔父が亡くなった。

葬儀はCMで耳にするあの「小さなお葬式」で行われた。

 

自宅療養中の母に代わり通夜に参列すべく、スマホで会場までのルートを検索する。以前からある葬儀場の道路向かいに小さな建物が表示された。いわゆる家族葬のようなもので、少人数での葬儀になるらしい。退職後は仕事関係の参列者もいないし、親戚も都会に出たり高齢化しており、そうたやすく集まることもできない。親戚づきあいもなくなってきているし、子世代、孫世代はもう何処にいるかもわからないことも多いのかもしれない。

 

会場に到着したのはお経の後だった。数十年ぶりに従姉と会い、お互いすぐには分からなかった。叔父の妻と、その子供3人、その配偶者と孫、あとは、叔父の兄夫妻、姉、私というまさに小さなお葬式となった。

 

会場は一戸建ての貸し切りで、プレハブとまではいかないが、簡素な造りの平屋だった。建物自体は新しくスタイリッシュで清潔感もある。駐車場からドアを開けるとすぐに式場、その横はリビングと呼ばれる8名かけのテーブルとイスが用意され、ふすまを隔てて控室という和室、洋室、その奥に浴室があり、式場スタッフは退席しており、家族だけの貸し切り状態だった。

 

今まで私の経験してきたお葬式のイメージは一新、今っぽいの一言だった。

 

子供の頃の葬式は、自宅で通夜から葬式まで行われ、近所の奥様達が集まり庭に竈を置き、炊き出しをして、お坊さんが家に来てお経をあげ、たくさんの知らない人がギュウギュウに家に来るものだった。通夜振る舞いの煮物を皆で食べ、知らないおじさんがお酒を飲む姿があった。

 

少し大きくなると、立派な葬儀場で華やかな祭壇があり、大勢の弔問客が訪れる。香典返しにお清めの塩が入っており、帰宅後玄関前で塩を体にかけるものだった。

 

ケアマネ業務についてからは、利用者様が亡くなられるとお通夜前に顏を見に葬儀場に駆け付けご挨拶、または葬儀後しばらくしてご自宅にご挨拶に行くことが多かった。コロナ禍以降は、参列も訪問もかなわず、ただ心の中でご冥福をお祈りする。

 

高齢社会が加速する中、都市部では火葬が追い付かず数日待機もやむを得ない事態があると聞く。また、利用者様の中には、直葬を選択される方もいる。故人が高齢となると葬儀に参列する人も限られ、喪主をたてることが難しい場合もあるだろう。

 

今まで自宅でしていた一連の葬儀を、会場を借りて同じように行うことが「小さなお葬式」なのかもしれない。

 

遠方から子供たちや親類が帰省した際、実家に泊まるとなると寝具や食事の支度が大変だからとホテル滞在となることも多い。そんな感覚かも。

 

お祝いのお食事会を仕出しを頼んで自宅でするとなると準備が大変だから、外食にしようみたいな。

 

そういえば、結納なんて今はないのかもしれないが、結婚式も昔は家でしていただろうし、出産だって産婆さんの力を借りて自宅でしていたと聞く。家でしていたことを、それに特化した設備のあるところへ外注するみたいな。テレビが薄くなり、スマホが軽量化してきたように、そのほうがコスパも良いし、より手軽にできるようになってきたのかもしれない。時代に合わせてライフイベントの執り行い方も変化していきているのは確か。

 

叔父は冗談好きな人だった。

 

久しぶりに会った従姉が叔父の顔を見ている私の元へ駆けより、数十年分の話を始めた。遺影の写真は免許証のもので、服は合成。よさそうなものを選んだのと冗談めかして話したり、もっと会いに行っておけばよかったとに涙を浮かべたり。

 

叔父ちゃんは冗談ばかり言って面白い人だったよね。だからさ、みんなで冗談言って笑って送りだそうよ。しんみりしているより、みんなが笑っているほうが叔父ちゃんも嬉しいと思うよ。

 

そこから叔父の暴露話がはじまり、お腹がよじれるほど皆で笑いあった。叔父のおかげで、またこうして従姉とも再開できた。じっとしているのが苦手な叔母は、来てくれる人がいてよかった。さぁ食べて、食べてと喪主にも関わらず、ずっと動き回り冗談を言って回っていた。

 

父を亡くした時にも感じたが、どこかの瞬間で魂が抜けた顔になる気がする。父の場合は、息を引き取る数時間前だった。中身が入っていないというか、体はそこに存在するが、父ではないみたいな感覚。叔父も、亡くなった後だから当たり前だろうが、体はそこにあっても叔父ではなかった。父がずっと私の頭の中に存在するみたいに、叔父もいつまでも私の頭の中で冗談を言ってくれるんだと思う。