satoimo's diary

人生も折り返し地点を過ぎた。自分を大切にするためには...

行動範囲

飼い猫や地域猫GPSを取りつけ、行動範囲を追いかけるという海外の番組を見たことがある。

猫にも縄張りがあるらしく、縄張りに侵入されると争いが勃発する。そのため、地域に猫が密集しているところは、同じ縄張りがかぶっても行動する時間をずらし、他の猫とバッティングすることはないとか。

意外にも行動範囲が狭く、同じ道をぐるぐる回っているだけのようだった。

 

家猫が逃げ出してしまった際、家のそばにいるものと聞いたこともある。

 

数日分の猫たちのGPSをたどって時間経過で移動した道を線にして検証する。猫ごとに違った色で行動を追いかけることになるが、確かに猫ごとにまるでルーティンが決まっているように同じところに線が重なり、円を描いているようだった。

 

たまに林に行くこともあるが、多くは民家の周りをまわり、その村から出る猫はいなかった。

 

自分と重なる。

 

毎日、職場と家の往復で、この町から出ることはない。決まった範囲で行動が完結し、ごく狭い世界の中でしか生きられない。

 

ジャングル奥地の少数民族のインタビューでも、その村で生まれ、結婚し、子を育て、その地で死にゆくことは当たり前で、先人たちもそうしてきた。そうまっすぐな瞳で答えていた女性をテレビ越しに見たことがある。

 

おそらく、日本でも特に地方の高齢の方々も同様、その集落で生まれ、結婚し、子を育て、生まれた地で死んでゆく。農耕民族の私たちにとっても、それは当たり前のことだったのかもしれない。

 

母も、一度は集団就職で都会に出たが、同郷の父とお見合い結婚し、父亡き今は、父と暮らした家から半径何キロの世界で生きている。

 

人間の行動範囲が拡大したから、感染症が爆発的に流行するようになったと聞くが、人間も進化しているのだから止めようがない。それより、何より、自分があの猫たちと同じように狭い範囲でしか行動をしていないことに改めて気づき愕然としたのだった。

 

コロナ流行もあり、尚更、遠くへ出かけることもなく、飲みに行くこともなく、人と会うこともなく、生活必需品の買い物に出かけるくらい。欲しいものはネットで注文する。そんな生活に慣れ過ぎてしまった。

 

でも、同じところをぐるぐる回るそんな生活をしていくなんて、もったいない。もっと、いろんなところへ出かけたり、知らない風景を眺めたり、新しい空気を感じたい。自分がいるところが自分の居場所であり、死ぬまでここにいなくてはならないわけでもない。(かといって行きたいところもないが)この3年間で凝り固まった頭や体をほぐすには、リハビリが必要なようだ。