3年ぶりだったらしい。
大学の合格発表をネット掲載に加えて、大学内での受験番号一括掲示となったのは。
10時の掲示時刻に合わせて見に行くか、行くまいか。
息子も私も迷いながら、大学に向かう車内で10時を迎えた。不安に押しつぶされそうになりながら、スマホ画面をスクロールする息子。
「受かってる」
その言葉に感極まり涙をためて運転した。よかった。よかった。
今までのことが思い出される。高3の夏頃、学校に行きたくない、定時制に転校したいと言い出したこと。突如ロックに目覚め、ギターを買って帰ってきたこと。出席日数が危うく、古典など赤点が発覚し、卒業も危ぶまれていたこと。最後の三者面談で、この点数では受かりませんよと担任の先生に言われたこと。希望の大学の教授は定年退職していたと知り士気が下がったこと。学校に来ていませんと先生からの電話も何回いただいたことか。
とにかく、卒業だけでもできればよい。いや、健康ならそれでも良い。本人がその気になるまで見守るしかないとぐっとこらえた冬休み。
共通テストが思いのほかよかったようで、前期日程まで家では、まったく机に向かう気配はなく、レコード店に入り浸り、夜中までオンラインゲームをしていた姿。
こんなに勉強せずに合格できるなんて、なんだか申し訳ない気持ちにもなる。いや、息子なりに努力はしていたのだと思うが。私がそれを知らないだけで。もちろん先生方のサポートも大きい。
安堵と喜びと驚きの入り混じった不思議な感情で、大学の掲示板に向かった。インタビューされたらどうする?いや、僕いやかな。なんて話ながら。
掲示板の前には、3組ほどのテレビ局の姿があり、受験生とその保護者の姿はまばらで、拍子抜けしてしまった。ドラゴン桜のように、受験生が群がり、そこらじゅうで胴上げでもしているのでは?と思っていたが、まったく賑わいはなく、受験番号を見つけた私たちに駆け寄ってくる報道陣もいらっしゃらなかった。
「インタビューされないのも、それはそれでなんだか寂しいね」
コロナ感染対策で胴上げなどは自粛されたらしい。スマホで合格発表を確認できるのだから、わざわざ掲示板に足を運ぶこともないのだろう。
けれど、自分では経験することのなかった大学の合格発表を息子のおかげで体験でき嬉しかった。なんでも経験したい、なんでもやってみよう。恥ずかしがっているほうが恥ずかしいよね。
「お母さん、入学式にも行ってみたいんだけどいい?」
「いいよ、別に僕そんなの気にしないし」
18年間お母さんとして過ごしてきたが、少し肩の荷が下りた気がする。これからは、また自分と向き合って自分が楽しいと思うことをしていけるような気がする。
耳でも、唇でも好きなところにピアスをしてみればよい。株を買っても良し。アルバイトもして、音楽のルーツを探りにイギリスにも行ってらっしゃい。君は自由だ。そして、私も自由なのだ。