satoimo's diary

人生も折り返し地点を過ぎた。自分を大切にするためには...

文化祭

高3の息子の文化祭

 

いつものごとく案内のプリントはカバンの下でぐちゃぐちゃになり、手元には届かなかったが、「君の青春を感じたいから、ぜひ行きたい。こっそりに見に行くだけだからさ」と懇願し、しぶしぶ了承を得て、何とか駐車許可証を手に入れた。

 

コロナ禍でもあり、高校生活最初で最後の文化祭だった。

 

体育館の3階の保護者席からは、同じ制服を着た生徒たちがきれいに並べられたパイプ椅子に腰かける背中が見えた。久しぶりの光景だ。

つい、今までの癖で息子のクラスの後ろの席に腰かけた。さすがに、高校生ともなると観覧に来る保護者も少ないようだった。

 

生徒会長は女子生徒、校長の英語のスピーチ、教師達のTikTok動画に、合唱部5名の歌声、同性に恋する高校男子が主人公の演劇、とリズムよく舞台が繰り広げられていく。初めは、高校生になったんだなと息子の成長を感じ、親目線で見ていたが、次第に自分の高校時代を思い出していた。

 

女子高の1クラスしかない食物科だった。担任からなぜか文化祭実行委委員長に任命され、1週間ほど前から、バザー販売用のパウンドケーキ、クッキー、アップルパイを食物科総出で数百個単位で作りストックしていく。当日は飛ぶように売れたものだった。

 

文化祭のテーマ決めは、夕日の差し込教室で話し合ったのを覚えている。当時流行していた篠原涼子の、確か「”レディジェネレーション・淑女の世代”なんていいんじゃない?女子高だしさ」というノリだけで私の案が採用となった。いいじゃん、面白そうだし。なんて。

 

舞台発表は、「高校三年生って、面白いんじゃない?三年生だもんね」のノリだけでまた採用され、三角巾をかぶり、各々お玉やお鍋など小道具を持ち大合唱した。

 

クラスメイトの彼氏が大学生でバンドを組んでいた。「来てくれたら、盛り上がること間違いなしだよね、どうかな?」の一言で、大学生バンドを招待し、高校三年生の次に数曲演奏してもらった。今でも忘れない、客席からは「男の匂いがするーっ!」なんて大盛り上がりだった。

 

面白そうというだけで、何の根拠もなくやってみる。他者の提案も「それ、面白そう、いいじゃん」なんて、そのあとの責任なんて考えずにとりあえず行動する。ノリだけで、ひらめきだけで生きていたあの頃。失敗もあったのかもしれないが、忘れてしまった。ただ、何の縛りもなく、好きなこと、面白いことが判断基準だった。

 

そんな思い出話を娘にしていると、「そのころの方が、お母さん、楽しそうだね」と言われて、はっとした。確かに、その通りだった。大人になってしまい、いつしか後先考えるようになってしまい、面白いことをしたい!という気持ちがなくなってしまった。今、無条件に楽しいことなんて皆無だ。

 

それが大人なのだろうか。

 

だとしたら、なんてつまらないのだろう。大人になんてなりたくない。いやいや、それは私が勝手に思い込んでいるだけで、アラフォーになった今だって、高校生のように面白いこと、ワクワクすることをやってみてもいいのではないか。

 

ただ、それを見つけるアンテナが壊れてしまったようなので、修理をしなくては。

 

母親になったからといっても、面白いことをしたっていいんだ!!自分に遠慮するのはもうやめよう。