高校入学式以来、半年ぶりに高校へ行った。
入学式同様、パイプ椅子は1脚ずつソーシャルディスタンスを保ち整然と並んでいる。校長先生の話では、学校行事がことごとく休止または縮小されたことに悔しさを滲ませながらも、このコロナとの共存に向けて感染症対策をとりながら、来年は盛大な体育祭に取り組みたいと、誰が悪いわけでもないのに、例年のような行事を開催できないことを謝罪される。先生方の熱意に頭が下がる思いで、こちらの方が申し訳なく感じてしまう。
学年PTAと学級PTAの間に講演会があった。どちらにも参加したい保護者は、必然的に体育館にステイして講演を聞くことになる。
なかなか興味深い演題であり、楽しみにしていたのだが。
講師は64歳男性、どこかの偉い方と見受けられる。スーツを着て颯爽と舞台に上がられた。64歳とは言え、まだまだお若い印象ではある。
司会者の紹介の一部で「先生は奥様の応援が一番のお得意とのことで、皆様のご夫婦間の参考になられるかと思います。家庭円満の秘訣は~」とのエピソードがあり、違和感を覚えた。
ん?
夫婦ではない者も多数おりますが。
講師は冒頭の自己紹介で「いつもは居眠りしても良いですよとお話しするのですが、その話を妻にしたら怒られまして、だから今日は皆さん眠らずによく聞いてください!」
んん?
眠るような話をされるのでしょうか?妻に言われたからとは?
「本題に入る前に、今話題になっている任命拒否について話します」と持論を展開する。
んんん?
公の場で政治の話ってどうなのかしら?政治評論家ではなく持論ですよね?
話の中盤では「妻に愛してるというのは、私の言霊が入っています」
んんんん?
何だか場面にそぐわない例えだし、妻多くない?
「子育てについて私は自信があります。例え娘が人を殺めるようなことがあっても、私だけは「そんなはずはない」と言えるようにしたい。皆さんはどうか分かりませんが、私は娘を信頼しようと思います」
んんんんん?
そんなこと、今さら次郎。信頼しようと思わないとできない方がおかしくない?反射的に無意識にでも子供を信頼してるし守るでしょう?そんなこと今ここで何百人相手に伝えたい訳?
終いには、演題からかなり外れて、おそらく講師の趣味であろう万葉集の話題になり、レジュメを見て一緒に万葉集を読みましょうときた。
「さあ、皆さん、この万葉集はリズムも良いですから口に出して一緒に読んでみましょう。あれ?声が聞こえませんね。私は耳が遠いものですから、もう一度読みましょう」
んんんんんんーっ!
おかしいでしょう。コロナ禍の今、マスクは当たり前になり、小学生の子供達さえ
運動会で声を出して応援もできないのに、この体育館という箱の中で数百人が集まりソーシャルディスタンスはとっているとはいえ、なぜあえて声を出さねばならない?
いやいや仕方がないのかも。
教育現場や医療・福祉・外食産業などコロナ対策が必要な職場では、敏感になっているのだろうが、おそらく講師の周辺ではそのような雰囲気ではなく、コロナ対策や新しい生活様式にアップデートできていないのだろう。
最初に感じた違和感。
64歳のスーツを着たどこかの会社の偉い男性に、アラフォー、アラフィフ女子の心にささる講演は難しい、何一つ共通点は見当たらないし、こちらに寄せてくれることもないし、自分が一番正しいと一方的にお話しくださる。
なんか、つまんないなぁ。
いかんいかん、この方も貴重な時間を割いてきてくださったのだ。私には響かないだけであり、講師が良いのならその考えでも良いではないか。ここに来てくださったことには感謝せねば。
講演が終わると、PTA代表から豪華な花束贈呈があった。
ん~。この講演はなにかの利害関係があり、学校側のお付き合いだったのか?
いち早く新しい生活様式を取り入れ、時代を先読みして共に歩んでいこうとする先進的な校長先生が、この講師の話を本当に聞きたいと思われたとは思えない。
学級PTAに向かう廊下で
「なんかよく分からなかったね。眠っちゃったわよ」
「私も」
そんな会話が聞こえてきた。
決して講師が悪いわけではない。悲しいことに我々の心に響かなかっただけである。講師は講師でそのままで良い。ただ一つ、公の場で講演をされるのなら、今の時代背景だけは敏感に対応された方が良いかと思う。今の時代を共に生きるものとして、年齢や地位は関係ない。皆が協力するそんな社会が求められるのだから。