勤務先の社会福祉法人では、毎月互助会費として給与から数千円天引きされる。その会費で2年に1回の職員旅行、忘新年会、慶弔費の支払いが行われていた。PTA同様、特に説明もなく入職と同時に会員になっていた。
が・・
コロナ禍で慶弔費以外の活動は休止。天引きは継続。この事態に不満の声が噴出。
そもそも、多くの職員は互助会の意味も分からず会員としての自覚など持てる訳もなく旧態依然の運営が、ただただ継続していた。
この事態に、2年ぶりに総会と言われる場が設けらた。発言するのはいつも特定の者ばかりであり、今回は、一人ずつ、互助会の運営についてコメントを求められた。50名ほどの参加だったろうか。
20代の若者から60代、パートの女性まで、本音が飛び出す。
「親睦のために必要だと思う。」
「旅行が楽しみ。」「なくなると親睦が図れない。」
と肯定的な意見は勤務年数が長かったり、役職についている者の意見。
「会費が高い。」
「入会の意思確認もなかった。」
「飲み会や旅行なんてストレス。」「行きたくもない。」
入職してまだ数年であったり若い世代の意見。
コメントの内容よりも、皆一様に、マイクが回ってくると、しっかりと自分の意見を発言されてたことに驚き、心動かされた。
普段は、発言の機会すらなく、一部の者の意見で都合よく動かされている感があるが、各々考えを持ち、妥協や波長合わせをしながら協調性を保っているだけで、そこには我慢もたくさんあったのかもしれない。
私は思いを言葉にするのが苦手だ。上手く話すことができない。それだけに、皆がしっかりと自己主張されることが、なんだかとても嬉しかった。確かに、全員の意見を聞いていると収集がつかないのも分かるが、どう転ぼうと、この場で自分の意見を表出できただけでも、納得感は得られるのではないか。
マイクが回ってきた。色んな人の意見を聞き、気持ちは揺れていたが、どう思われようと今の自分の気持ちを主張したい。
「正直、飲み会は苦手で旅行も行きたくありません。ただ、同じ職場でも顔も名前も知らない方も増え、コロナ禍の影響も大きいのでしょうが、漫然と出勤して自分のケースだけこなし時間が来たら退社する毎日。自分はフリーランスで仕事をしているのかと思うこともあります。何らかの形で交流が持てれば良いのかなと思うので、互助会は一旦解散して、新しい形での委員会なりを作っても良いのかなと思いました。」
他人にどう思われるかを気にして言えなかったことも多いが、正解不正解ではなく、自分の考えを発言することができ、爽快感を覚えた。
その後もマイクパスは続き、各々意見を述べる。
ただ、一つ気になったのは、先に発言した者の意見を持ち出して否定し、自分の意見を述べる話し方。
「(先に発言した者の意見)は〇〇なので良くないと思います。私は〇〇だと思います。」
それは何か違う気がする。色んな意見を出し合う場なのだから、良いも悪いもないし、それはその者の一意見なのだから、批判や評価は不要ではないか。あなたはそう思うのね、私はこう思うのよ。でいいじゃない。
結果、1~3案の多数決を取ることになり、互助会はその日をもって解散することとなった。全員賛成の結果ではなく、各々思うところもあるだろうが、互助会について考える契機になったのは確か。さぁ、次はどうなっていくのか・・。
もう一つ、反省したことは、私自身互助会というものをよく分かっていないことだった。よく分らないものについて、意見の出しようもないはずなのに、飲み会が嫌いという感情だけで意見としてしまった。
敵を知り、己を知れば百戦危うからず(敵でもないのだろうが)
良い年してまだまだ反省の日々である。