ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

傾聴の仮説

職場と自宅の往復の日々

いかにして

職場でのストレスフリーな状況を維持するか

それが目下の課題である

 

とあるお客様へのある対応が可能かを

他部署の主任へ相談した際

理不尽に理由もなく拒否されたことがあった

主任も虫の居所が悪かったのだろう

私の話し方がまずかったのかもしれない

こちらも感情的にならないように

そういうこともあるさと引き下がり

大して気にもせず

半ばあきらめていた

 

後日

たまたま女性上司とその話題になった

上司は

お客様への対応について焦点を当て

あなたのその対応はああだ、こうだ

私ならこのようにお願いする

主任に意図が伝わらなかったから

拒否されたのかもしれない

など

何故主任が拒否したのかについて

一生懸命意見してくださる姿を見て

私は幽体離脱したかのように

意識が少し体を離れて

上司と私のやりとりを眺めている感覚に陥った

 

私としては

その対応についての助言は必要なく

(対応自体は間違っていないと思っていたので)

拒否された理由も知りたいとも思わなかった

ただ

主任に拒否されて嫌な気持ちだった

という

「感情」を理解してほしかったことに気が付いた

もちろん

私の話し方が不十分で

上司にも上手く伝わっていなかったのかもしれない

 

なんとなく

最近感じていたのだが

人が話を聞いてほしいと話し出した時

もしかすると

話の内容よりも

そのときどう感じた

という「感情」の部分を理解してほしいのではないか?

 

相談の内容よりも

そのことに関して抱いている

「感情」を汲み取って共感を得ることで

聞いてもらったという満足感と

自分自身での問題解決につながるのではないか?

 

おそらく

話し出した時点で話している本人は

答えが分かっているのではないか?

との仮説を抱いたのだった

 

よく男女の脳の機序は異なり

男性は理論的に解決策を導き出そうとし

女性はただ聞いてほしいだけ

なんて話がある

 

確かに

答えが欲しくて相談することも多いが

この時の私は

ただ聞いてほしいだけだったのかも

上司の助言は聞きたいと思っていなかった

加え

話の最後はいつも

上司の私はこうだったで締めくくられる

 

こちらが聞いてほしかっただけの話が

いつも最後は

上司の同じようなエピソードを

こちらが聞いて

共感する(ふりをする)ことになり

なんだか不完全燃焼のままとなる

必然的に口をつぐむことになる

 

相談援助業務に携わる身として

それは大きな気づきだった

 

お客様から

生活の困りごとや不安

時にはデイサービスの人間関係など

お話いただくことも多い

その内容を評価し解決策を提示するのではなく

ただ共感して聞いてみる

思う存分話してもらう

そうすることで

ご本人が答えを出されることもあるかもしれない

 

それは上司も同様で

大丈夫かな?と思うほど

不満に思われていることを

繰り返し何度も話されるが

それについての解決策を得たいのではなく

ただ共感してほしいだけなのかもしれない

 

こちらからの話が

いつも最後は上司の話になってしまうのも

実は上司のほうが「感情」を理解して

共感してほしいという思いが大きいのかもしれない

 

ついつい

それはこうしたらどうでしょう?

と解決策を考えたくなるが

それは求められていないのだろう

 

答えが欲しいのか?

ただ共感してほしいのか?

 

その見極めはまだ難しいけれど

少し意識してみようと思う

 

そうすることで

勤務時間終了後に不満話を始められ

帰るに帰れなくなる最悪の事態を防ぐ

手立てが見つかるかもしれない

 

相手に

不完全燃焼な思いを抱かせることのないよう

傾聴していきたいと思う