ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

概念

月末に仕事が立て込み、どうも気になって早朝4時に目覚めた。普段は見ることのない時間帯のテレビをつける。

 

「テレビショッピング」を見るのは数年ぶりだろうか。ルームランナーの紹介をしており、どうやら電源はなく、自分でその上を歩く動作が動力となり起動するらしい。確かに音も静かなんだぁと、家事をしながら耳だけ傾けていたが、ふと画面に目をやると、そのルームランナーを斜めに2台配置し、トレーニングウェアの男女が、首を少し斜めに傾けて、ばっちりカメラ目線で実演していた。何だか、とても滑稽に感じた。

 

一昔前は、交通機関も整備されておらず、自分で歩いて目的地へ移動していた。日常生活そのものが、体を使わねば成り立たない生活で、運動不足なんて概念があったのだろうか?

 

現在は、わざわざルームランナーを使って何の生産性もない運動をする(もちろん皆が皆ではないし、それを否定するつもりもない)。風景を見るわけでもなく、どこかを目指して歩くわけでもなく、近所を気にしながら、なるべく物音をたてないように、余計なカロリーを消費するため、筋力をつけるため、健康のために、工場の缶詰のようにベルトコンベアの上で、ただその場に留まり足踏みをする。

 

健康のために運動をするという概念は、人類の進化ともいえるのではないか・・・

 

一昔前には想像すらできなかったことが普通になってゆく。

 

飛沫感染予防のため、防護マスク利用も珍しくはなくなった。むしろ安心感を覚えるまでになっている。数か月前には想像もできなかったことで、数か月前の自分なら受け入れがたい光景だ。海外からすれば、日本のマスクもそのような印象だったのかもしれないが、今やマスクをしていない方が危険人物扱い。人との距離をとり、PCに向かう仕事をしていると無機質な感覚に陥る。

 

何かの映画で、人間が1人ずつ透明なカプセルに入ってチューブから栄養を補給し、そのカプセルが蜂の巣のように無数に保管され、必要な時に送り出される。そのような世界は感染のリスクもないし、フードロス問題もない。もちろん3密も存在しない理想の生活形態ともいえる。

 

ルームランナーで生産性のない運動をすることが普通になったように、蜂の巣の生活が普通になるのかもしれない。

 

もう、世界は変わり始めているのかもしれない。

 

人類の進化・・・

 

緊急事態宣言が解除され、買い物先でも人手の増加を感じる。その一人一人に人生があり、大切な人たちがいる。

なぜこんなに人間がいるのだろうか?と不思議に思い恐怖心すら感じる瞬間がある。みんなちがって、みんないいのだが、ソーシャルディスタンスをとることが身についてきたこの頃は、大勢の人の中に入ることに躊躇してしまう。

 

もう、私の概念も変わり始めているのかもしれない。