ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

老いへの道のり

唇の一部分がヒリヒリすると、数時間後にそこは水膨れとなり口唇ヘルペスの出来上がり。ここひと月の間に二回も同じ状況となり、そのメカニズムに気づく。何か疲れることがあった翌週に現れる症状。

 

朝起きると、右股関節が痛くてうまく歩けない。通勤時、アクセルを踏むのもままならず、次第に座っていることもできないほどの痛みが走った。初めてのことで恐怖を感じ、早退して整形外科受診すると、腰部脊柱管狭窄症により腰椎間が狭く骨がすれてとがってきており、ヘルニアもあることからの坐骨神経痛かもねとの診断。痛み止めとシップを処方され、コルセット装着を指示される。

 

寝た時と同じ姿勢で目が覚める。薄々は気づいていた。寝返りをしていなことを。だから、起床時、腰をはじめ体のあちこちが痛むのか。疲れは全くリカバリーされないはず。

 

ん?何?子供たちとの会話で聞き返すことが増えている気がする。まったくもって早口だからか、何を言っているのかわからないことも多い。

 

瞼の上が乾燥して、普段の化粧品でも効果はない。ワセリンをべとべとに塗ってやっと潤いを取り戻す。

 

マスク生活も長くなり、化粧もしない日々が続いた。久しぶりに化粧をして、子供たちの卒入学式の写真に納まる。二人の成長した姿に目を細めると同時に、その隣の自分の姿に目をつぶりたくなった。

 

時は流れている。確実に。

 

体のあちこちにガタがきて、通う病院が増えている。ランニングもままならなくなり、何せ無理がきかない。気力だけでは乗り越えられない。体が思うように動かない。

 

ただ、良い点も見つけた。

 

体のあらゆ不調や老化症状を体験することで、高齢の利用者さんの気持ちを身をもって理解できるような場面がある点。思うように体が動かないことで感じる不自由さ、痛みで立ち座りもままならない歯がゆさなど、正直、今まで上辺だけで理解していたかも。

 

歩行器を押しながら道を歩いている高齢の方を見ると、思うようにいかない体でも自分で歩こうとしている頑張りにエールを送りたくなる。普通に動ける人たちの何百倍も頑張っておられるのだと思う。動作はゆっくりでも、すごいエネルギーを使っておられるのだと思う。

 

そして、体が思うように動かなくなること、若さを失ってゆくことは恐怖でもあり悲しみでもあるが、それ以上に、今までの自分の経験値や得てきた幸福感、そして子供たちが一人前になっていく姿に満足感を得られ、それほど悲観的になることでもないような気がする。

 

ただ、それは諦めではなく、時の流れを受け入れてその時々に応じて自分も変化し続けることで、「私」を維持していけるような。

 

アルバムを振り返ると、髪形やメイクでその時代を感じる。不思議と顔つきも変化しており停滞してはいないことが分かる。

 

変な話だが、子供たちが成長していく中で、もう自分がいなくとも大丈夫という気持ちが膨らんでいき、最後を迎えることへの恐怖心は薄らいできている。痛いのは嫌だが、怖くはないというか。

 

ま、もう一息頑張って、世の中の変遷も見守ってはいきたいかな。