ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

信用

彼に頼まれネット注文していた服が1枚だけ、後日配送となっていた。

「お母さん、ちゃんと頼んでくれたの?まだ来てないの?」

帰宅早々、畳みかけられる。彼は私の地雷を踏むのが得意らしい。

 

「ちゃんと頼んだし、注文画面はスクショして送ったでしょう?君もしっかり確認してよ。来てないのって私も今帰ったとこだし分からないよ。第一、私のこと、信用してないのかしら?・・」

 

そこまで口にした時、ハッとした。

その言葉は、そのまま私へ向けられた言葉だった。

 

私が彼のことを信用できていないから、彼も私を信用していない。

 

思い返せば、給付金の時もそうだったように、今までにもそのようなことが多々あった。

 

「お母さん、兄ちゃんと似ているから腹が立つんじゃないの?自分と似ているとそうなるって聞いたことがあるよ」

 

「そんなことないよ。私はちゃんと片付けるし、約束は守るしさぁ。無駄使いもしないでしょう。飲みかけのジュースを蓋を開けて床に放置もしないし・・。似ているなんてあり得ない」

 

そんなやり取りをした数日後の突然の気づきだった。

 

彼女の言うように、彼は私の鏡。私が思うこと、することが、彼からそのまま返ってくることを認めざるを得ない状況であった。

そして、なぜか彼に対してだけは寛容になれずにいた。それは、彼のことを信用していないからなのか、一人前の大人になってほしいという親心なのか・・。

 

集金袋を先生に渡してねと手渡しても、数日自宅の机に放置。

学校からのプリントはカバンの底でグチャグチャになり、知り得ない情報も多い。

「もう起きる」からの30分。

「明日は起きるから、起こして」と言いながら、寝ぼけての暴言。

自分から言ったことを実行できない。そんな彼を信用しろと?

 

もう高校生なのだから本人に任せようと、そのたびに仕切りなおした。遅刻しても自己責任だと自分に言い聞かせる。100歩譲って、もしかすると、彼には彼なりの理由があって、そうしているのかもしれないとこちらの思考回路を変更する。第一、私がいくら心配したとしても、彼に代ってやることはできない。だが、彼が起こした不祥事には菓子折りを下げて謝罪に行く。こんな理不尽な話があるのか・・・。私にはコントロールできない彼の言動についてのフォローを無条件にしなければならず、かといって彼はこちらの言い分を聞き入れてくれはしない。

 

だが

それもこれも私サイドの一方的な思い込みだと気づく。私から見た利益や理屈であり、全く違う人間に成長している彼に、私の思いを無条件に受け入れてもらえるはずもない。彼には彼の自我がある。

 

ならば

まずは彼の主張を聞くことに努めよう。世間的な責任はとれないとしても、彼なりの思いがあるはずだ。仕事では、相手の思いを傾聴することを厭わないのだが、やはり、どこかで彼への甘えや過剰な期待があるのかもしれない。彼が私に要求してくることも、私に対する甘えや過剰な期待なのかもしれない。彼を通して自分を見ているようで、1人恥ずかしさを覚え、深く反省した。

 

手始めに弁当作戦を実行中である。

4月から弁当持参の学校生活となり、空の弁当箱を持ち帰る日は私も嬉しい。がしかし、日によっては、野菜だけを残したり、手付かずのこともある。例のごとく言いたいことはたくさんあるが、小言はぐっとこらえた。彼が残さず全部食べてくれるように、こちらが残食の原因を分析し、メニューの改善を図ることにした。感情的にならず、統計をとる気持ちで・・。「今日の弁当美味しかった、また作ってね」たまには、そう言ってくれる日もあり、「そう」とそっけなく返答しながらも心の中ではガッツポーズである。目標は、空の弁当箱を持ち帰らせること、さらなる目標は「また作ってね」と言いたくなるようなお弁当を作ることだ。こちらからの強要ではなく、あくまでも自発的にその言葉を引き出したい。

 

今朝も今日提出してねと手渡したプリントは机に放置されている。いや、きっと彼なりに理由があるはずだ・・・。

認めたくはないが、彼は私に似ているらしい。私が穏やかな人間になれば、きっと彼もそれ以上に穏やかな人間になるのだろう。仕事でも、プライベートでも、まずは相手の思いを聴いて相手の立場に立って考えることとしよう。

 

住宅街の隙間から広い海に続く空を見上げて、ちっぽけな自分を思い知るのだった。