ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

小さくて黒い大量の何か。

「なんか、心がモヤモヤして。時間があったら、家に来てくれない?」

 

事務所で昼食中、80代1人暮らしの女性からの電話だった。

午後から訪問予定はなく、二つ返事で女性の家へ向かう。その前に、女性が利用しているデイサービスと訪問看護事業所へ近況を尋ねたが、特に変わりはないという。

 

家に着くなり、女性は止めどなく語り始めた。

 

クールポコの餅つきのように、時折相槌を挟みながら、テンポを崩さないように、女性の言わんとすることを探りつつ傾聴に徹する。

 

”とにかく、誰でも良いから話を聞いてほしい”

 

それが主訴だと感じた。

 

子供たちが、たまに来てくれても、ゆっくりと話す暇はない。子供たちも生活があるから、自分のことで迷惑はかけたくない。でも、煩雑な書類の手続きや、日常生活での困りごとが募り、1人では処理できなくなり、デイサービスへ行くと、自分も物忘れが進行し、何もできなくなるかもしれないという漠然とした不安に襲われる。私、大丈夫かしら?と。

 

「もう、どうしてよいか分からない」

 

これが、女性の口癖だった。

 

女性が思いのたけを吐き出すのに要した時間は1時間強。

その間、聞き手としては、映画グリーンマイルでコーフィが病気を治すときに、相手から吸い込む小さくて黒い大量の何かを受け取るような感覚だ。

 

女性の不安や恐怖、悩みを言葉にして吐き出してもらい、こちらは、ただただ傾聴につきる。小さくて黒い大量の何かを全部吐き出すことができた時、女性は笑顔を取り戻していた。

 

「あなたに話せてよかった。ずっと、話したいと思っていたの。子供たちにも、誰にも言えないから。心がすっとした。ありがとう」

 

特に解決策を提示できたわけでもない。

女性は自分でも分かっている。真に子供たちに迷惑をかけないということは、健康に自宅での一人暮らしを続けることである。煩雑な書類や事務手続きで悩み、不眠になり精神的にも不安定になるくらいなら、その部分は子供たちに甘えて良い。そのほうが、よほど健康を維持し自立した生活につながるのだから。

 

「ちょっと、子供たちに甘えられるように考えてみる」

 

ただ話を聞くことが、ケアマネジャーとしての適切な支援なのかは分からない。ベテランの方は、もっと良い方法を知っているのだろうと思う。

 

今までは、小さくて黒い大量の何かを正面から受け取り、自分の中にため込み、苦しくなっていた。

少し、距離を置くことを覚え、帰りの車の窓を開けて、小さくて黒い大量何かを外に吐き出す。そして、空っぽになった体をリセットし、自分を取り戻していく。

 

話を聞くことで不安が軽くなるのなら、お時間の許します限り、いくらでも聞かせていただきます。