satoimo's diary

人生も折り返し地点を過ぎた。自分を大切にするためには...

生活保護課での再会①

担当の方の手続きの為、保護課を訪ねた。

 

新庁舎は広々としてコロナ禍でもあり、人もさほど多くはなかった。保護課のフロアに降り立った途端に、聞き覚えの鳴る怒声が耳に入る。怒鳴り散らす女性の声だ。

 

恐る恐る声の出所を見ると、フロア真ん中のベンチにぐったっと腰掛け、担当者を目の前に立たせて、杖を片手に怒声を浴びせている、腰まで伸びた長い髪を揺らす、見覚えのある女性がいた。

 

間違いない。

 

「あなた方が、勝手に来るからでしょう?電気がついていたって、補聴器がないと聞こえないんだから、何を考えているの?デイサービス利用中に見に行けばいいじゃない!」

 

その女性は、車いすを利用している高齢の母親と二人暮らしで、自身も難病を抱え幾度と交通事故に遭い、杖なしでは歩けず、難聴で、様々なアレルギーを持った、かなりこだわりの強い、相手に同調することは一切なく、論破してくる。かつてその女性の母親の担当ケアマネジャーをさせていただいていたあの女性だった。

 

担当者を怒鳴りつける光景に、一瞬にしてフラッシュバック・・・。

 

隣県で、その地域の全介護サービス事業所から利用受け入れを断られ、担当ケアマネの引き受け手もなく、ケアプランは女性が自己作成し、唯一、市役所の担当者一人には心を開き、その方の助言のみ聞き入れられていたという。

 

生活保護受給世帯、女性も健康体ではなく、介護サービスの利用ができなければ自宅での生活は難しい。担当者の助言もあり、まだ女性らの情報のない県へ転居された。

 

そこで飛び込みで相談に来られ、担当ケアマネとなったのが始まりだった。

 

女性の母親への想いは強く、時に依存的にも感じた。複雑なバックグラウンドがある。母親の支援よりも、女性への支援が必要な状況だった。保護を受けているという負い目もあるというが、権利ばかりを主張する。それは、保護云々ではなく、一般常識を逸した要求が多かった。

 

訪問時は、台所で正座し1時間の傾聴が常。女性の気分を損なうと、母親との面談ができなくなるため、細心の注意を払った。女性がおすすめのパンや、自作の料理を食べるよう促され、上手く断る術を持ち合わせておらず、不本意ながらも女性の言う通りにいただいた。批判することもなく、ただただ傾聴した。それが良いのか悪いのかは分からない。

 

次第に女性の要求はエスカレートし、女性の病院や習い事のスケジュールまで把握することとなる。確かに、母親の介護サービス調整のためには必要だが、女性が何時のバスに乗るのか、どこに習い事に行くのか、もう把握しきれなくなっていた。

 

事業所への電話も頻回で、長時間話し込み他の仕事に支障が出てくる。そんなある日、いつものように女性からの電話。うっかり、女性のスケジュールを把握していなかった。

 

「あなた、この間来た時にメモしていたじゃない!なぜ、嘘をつくの?私は、ちゃんとスケジュールを伝えたわよね?嘘つきが一番嫌いよ。あなたは、そうではないと思っていたのに」

 

専門職としてあるまじきことだが、未熟な私は抑えきれずに初めて反論することとなった。もちろん、嘘などついていないが、立場上、やはり反論すべきではなかったのではないかと今でも考えることがある。

 

その日以降、ぱったりと電話がこなくなった。

休日に女性から他のケアマネ事業所へ変更するとの連絡があり、それっきりだった。

 

その女性。

 

変わってないな。

というか、コロナ禍で大変な中、女性も頑張っているんだな。

いいぞ、怒鳴れ怒鳴れ!!

 

ベンチの後ろを足早に通り過ぎ、目的の窓口へと向かった。