ケアマネの私とオフの私の日記

書くことで気持ちの整理をしていきたい。。

害獣②

90歳を間近に控えた一人暮らしの高齢女性。過去には国家公務員も経験し、今でも知的な部分を感じられる。一般的に言うごみ屋敷に居住し、ヘルパーによる買い物支援が唯一の生命線。夜のアナグマとの格闘に備えて、日中は和布団に横たわって睡眠をとっている。トイレ以外の移動はない。ちなみにトイレは和式の汲み取りで、1人で転ばずにできている。

 

就寝中にアナグマに襲われるようになり、足は骨が見えるまで噛みちぎられ、毎日訪問看護が処置に入るが、抗生剤服用は拒否、入院も転居も拒否。傷を負うと、自宅の黒電話からSOSの一方的な電話がくる。

自ら世間との関係を断ち何年経つのだろうか・・。近所の方も寄り付かず猫とアナグマと共存している。唯一、アナグマの駆除は彼女の希望であった。運よく定額給付金も入る。

 

アナグマに襲われて私が死なないと、皆分からないのよ。入院するくらいなら、ここで死にます。出ていけーっ!」

 

彼女の望む通り、害獣業者に現地調査を依頼するが、猫が出入りする状況での捕獲は困難、隙間だらけの家屋であり駆除したところでまた住み着くと思われる。転居されるのが一番かと思います。との回答。

 

アナグマの駆除もできないやつが、のうのうと世間を歩いているんですね。帰れーっ!」

 

駆除もできずに振出しに戻った。おそらく、床下に住み着いているアナグマの出入りが頻回となり、室内は荒れ放題。布団には得体のしれない足の長い虫が生息し、例年に増して彼女の皮膚は虫刺されで真っ赤になってきた。彼女の望みは、「この家で死にたい。ほっといてくれ。」だ。

 

がしかし、一般常識から考えて、いつまた襲われるか分からない、劣悪な住環境においてほっておくことは、支援者全員の良心を苦しめた。本人の意向が第一なのか?生命が第一だろう。でも本人は劣悪でも今の環境を変えてほしくないという。このまま見逃すと、いつか本当にアナグマに食べられて死んでしまうかもしれない。抗生剤の服用もなく傷の処置だけであり、破傷風感染症になる可能性が高いが、熱も上がらず主治医はじめ、相談先の医師も驚いている。

 

痛みがある際の傷の処置は彼女の望みであると確認した。ならば、彼女の意向を尊重し、彼女からの求めがあった時にのみ対処する方が彼女の為ではないのか・・・。

 

各専門職の立場からの助言がケアマネに集まる。実妹からの同居の提案も拒否し、妹も「姉の好きなようにさせてください。どうなっても姉の望んだことですから結構です。私たち、変わった姉妹ですから」とさじを投げられる。

 

生活保護課、包括支援センター、民生委員などあらゆる方面に現状報告し相談しているが、やはり本人が望まないことは支援できない。相談した行政も一度は訪問同行されるが、保身に走り、本当の意味で彼女のことを考えてくれるのは、毎日支援に入る訪問看護師さんの方。断ってもよい条件の中、傷があるからほっておけないと足袋に防護服を着用し汗だくになって処置をしてくださる。

 

幸い、感染症にもならず、手の甲や指、足首に額、肘の傷はゆっくりと快方に向かっている。彼女の言うように、点滴などしなくても時間をかけて治癒していっている。支援者の思いなんて、余計なお世話なのかもしれない。

 

「この詐欺女が!怖い怖い。なにしに来たんだ?」

 

この状況でも力強い罵声を発する元気は健在。ケアマネへの恨みか怒りが彼女の生きる糧になっているようだ。それならそれで構わない。ただ、訪問するたびに生気を吸われるようで、言いようのない疲労感に襲われ、もれなく彼女と同じ虫刺されをお土産にもらうことになる。

 

死にたくても自由には死ねない。

死んだあとの処理は自分ではできない。

死んでまでも誰かのお世話にならざる負えない。

死ぬ権利などあるのだろうか?

死にたいといっても、アナグマに噛まれて痛みがあるとSOSを発する。それが人間の本性なのだろうか。

 

1人で生きているようでも、実は世間様のお世話様になっているという認識を彼女は持ち合わせているのだろうか?生活保護を受けるのは憲法で保障されているし、介護保険を利用して彼女の意向を尊重した自立支援を行うのがケアマネの仕事であり、支援させていただいていると思っている。してあげているなんて毛頭思ってもいない。サービスを受けるのも、受けないのも彼女の当然の権利であり、契約により支援しているのだから、同等であってよいと思っている。

 

しかし

彼女の意向を尊重するばかりに、あの劣悪な環境の自宅に支援に入り、虫にさされ、いつアナグマに襲われるかもしれない恐怖を抱え、プロ意識をもって支援してくださっている看護師さんやヘルパーさんの権利はどうなるのか?ケアマネは支援者の安全を確保する責任もある。

 

さて、どこで折り合いを付けようか・・・。