satoimo's diary

人生も折り返し地点を過ぎた。自分を大切にするためには...

看取り

在宅での看取りを希望

 

同居の次女様に加え遠方の長女様も帰省

親子三人の生活となられ

3か月ほどだったろうか

幾度となく

主治医から「もう難しいかも」と言われ

低空飛行が続き

元旦に旅立たれた

 

訪問看護師さんが言われるには

「眉間にしわ一つない穏やかなお顔だった」と

 

在宅医へ切り替え

訪問看護を導入

できる限りデイケアにも通われ

状態に応じて福祉用具も変更していった

点滴はせずに食事も食べられただけ

ただただ見守る

 

介護サービス云々より何よりも

次女様の「家で看取りたい」という覚悟が

皆を牽引していった

そう感じる

 

もちろん

ご本人も「注射はしたくない」「入院は嫌」

認知症ながらもはっきりと意思表示されていた

 

次第に食が細くなり

水しか受け付けなくなっても

ご本人も次女様もその状況さえ笑い飛ばして

とにかく明るい雰囲気の中で

「日常」を送られていた

 

「できるだけ

 痛みを感じないようにしてほしい」

 

次女様の意向も明確だった

 

在宅で最期を迎えられた方を支援する中で

いつも

介護者の強い思いと力を感じる

ケアマネなんて何の力にもなれない

ご本人に介護者に寄り添い

その時ベストな方法を早急に調整することくらいだ

もちろん

主役はご本人でありご家族であり

それで良いとも思っている

訪問看護師さんの力も大きい

 

死は決して特別なことではなく

自分の家で最期を迎えるのは

何ら特別なことでもない

しかし

出産の場が自宅から病院へ移行したように

死についても自宅から病院や施設に移行していき

隠されてきたようにさえ感じる

子供たちは

人の死に立ち会う場面は少なくなった

 

「お線香だけでもあげさせてください」

と最後のご挨拶に伺う

 

いつも面談していた居間には

祭壇が置かれ

ご本人らしい色合いのお写真が飾られていた

次女様も満足されたお顔で

涙をにじませながらも

今までのことをお話しくださった

 

その部屋で

帰省されていたお孫さんご家族数組の

まだ幼い曾孫さんたちが走り回っていた

お孫さんにご挨拶するも

視線はスマホに向いている

おそらく

葬儀や告別式にお正月から参加され

非日常な出来事でもあり

疲労のピークにあられるのだろう

 

走り回る曾孫さんたちを見ながら

命の継承を感じずにはいられなかった

 

新しい命が生まれるのだから

人生を全うした命は消えてしまう

それは当たり前のことで

何億年も前から繰り返されている

 

ご本人を偲びながら

事務的に記録を済ませ

終業時間ぴったりに職場を後にした

 

いつもなら真っ暗になっている時間だが

その日の外はまだうっすらと明るく

何だかとても嬉しかった

 

日の入りが早く昼間が短くなっていく季節は

なんだか心許なくて寂しくもある

冬至を過ぎ

外はまだ寒くても

確実に昼間が長くなっていく季節は

新しいところへ向かっているようで

春が近づいているようで嬉しくなる

 

太陽が昇らない極夜では

私は生体リズムが狂って正常に過ごせないだろう

日に焼けるのは嫌で早朝にランニングをするくせに

矛盾しているのだが・・

 

なんだか色々考えこんで

落ち込んでしまうことも多いが

季節は確実に進んでいる

また春がやってきて

大好きな新緑の季節がやってくる

 

そこでたくさんの栄養を蓄えて

今あることに感謝して後悔のない人生を送りたい

つい仰々しい言い回しになるが

ただ自分が思うままに過ごしてみることとしよう