3人部署で働いている。
今年度から管理者になった男性とは、価値観の相違が甚だしく憂鬱な日々を送っている。何かにつけて、彼の方針に反発心を覚え、世間話も皆無、情報共有も学びもなく、ただ毎日、自分のケースのことだけを考え狭い範囲で過ごしていた。彼に質問でもしようものなら、突っぱねられ不機嫌そうに受け付けてももらえないので、いつしかこちらも無口になる。
楽しくない。
自己啓発本を読むなどし、何とか自分が変わろうとする。
ある日、近所のお客様宅へ訪問の際、畑に大きなオクラが実っており、畑の奥のおじさん(失礼だが高齢男性と表現するより親しみがある)に声をかけた。
おじさんは難聴なようで、わざわざ道端迄来てくださり、他の野菜の話もしてくださる。
「おじさんに声をかけてくれたから、ほらオクラを持って行って。おじさんは若い女性に弱いのよ」
その場で、数本オクラを収穫し、両手いっぱいに乗せてくださる。
若くもないが、素直に嬉しかった。心の奥がポッと温まり、懐かしい感覚を覚えた。
ある日、古い住宅街の狭い道路に2台のドクターカーが停まっていた。2台同時とは事件か?同じように家の玄関先からドクターカーの様子を眺めていたおじさんに、思わず声をかける。
「何かあったのですかね?」
「ねぇ、どうしたんだろうか?」
たまたま通りがかりに見ず知らずのおじさんと、同じ時を共有した。今、ここに自分がいるんだ、いても良いんだという安心感を覚えた。
ある日、久しぶりにJRに乗った。隣に女性が距離を詰めて座られた。車内は混雑しており、目の前にも乗客がいる。普段、車通勤であり、こんなに他人と近づくなんて、コロナ禍のソーシャルディスタンスに慣れていたこともあり、とても新鮮で、何だか一人じゃないと、ほっとした。
変な感覚である。
職場では、できるだけ管理者との接触を避けるようになり、コロナ禍も重なり、人との交流が持てなくなっていたのかもしれない。
本来の私は、見ず知らずの人とも気軽に話したり、色々な人と出会い、笑い合い、交流を持つことが楽しいことだったはず。なのに、楽しくないことを管理者のせいにして、人を避けてきたのは、私自身だ。
原点を思い出し、少しずつ人との交流を持つように意識している。
昨日は、職場で提供される給食のご飯が、とてもきれいに盛りつけられており、ふたを開けたら嬉しかった。下膳の際、食器洗浄中の若い男の子にそのことを伝える。そこから一言、二言、会話が生まれ互いに笑顔になった。
嬉しいことは伝えて行こう。
2:6:2の8割の方の方を向いて楽しくいこう。
苦手な2割の方のことを考えている時間なんて残されていないのだから。